005 釣りをするひと

乾海落語・野ざらし 其の弐

乾しか出てきません。アニメのてにぷり一家のイメージでへったれーに想像して下さるとよろしいかと。


其弐 箒木

「へえ、乾さん、釣始めなすったんで?」

「ははは、釣は釣でも魚じゃなんだなコレが…」

腰の徳利にたっぷりと補給して、ハナウタ交じりで歩き出した乾を、酒屋が慌てて呼び止める。

「乾さん、餌と魚篭は?」

「俺の釣にはそんなものは要らないんだな」

「へえ…?」


手塚が言っていた土手下には、釣り師がずらりと糸を垂れていた。

「今年は年寄りが色気づいてるな。どれ、失礼」

「あのー、貴方ー、餌ついてませんのねー」

「いや、俺はこれでいいんですよ」

「変ってるのねー」

「昨日のは美人だったけど、ちょっときつすぎる…
いや、キツイのは好みだけど、ああいう小悪魔…いや、大魔王か?
こっちをいいように引きずりまわしそうなのはあの堅物の隠居ならともかく俺はちょいと御免こうむりたい。
どっちかというと、こう、鼻っ柱が強くて意地っ張りで、
でも正直で表裏が無い竹を割ったような気性の、
それでいて小股の切れ上がった色気が意識せずにこぼれるようなのが…」


「あのね貴方、あげっぱなで、そうブツブツ言ってちゃ魚がどっか行ってしまいますよ、
どこか他所に行って頂けませんか、んふっ」

「おや、魚に耳があるという情報は初耳だ。見せてもらおうか、魚の耳ってやつを?」

「ちょっ、そう、かき回しちゃっちゃ!」

「かき回す?かき回すっていうのはこうやるんだろうが」

「ひぃいいい」

「早く鐘が鳴らんかな。烏がぱっと出たら葦を分けてってと」

浮かれている乾は気味悪がった周りの釣り師が引き揚げていくのに全く気付かなかった。

夏の日永きを恨む身にもいつしか夕風は涼しくなり初めて、

焦がれた暮六つの鐘が、ぼうん、と鳴った。

ばさばさと飛び立つ烏の群れ。

(手塚は鐘ヶ淵まで足を伸ばしたと言うが、ここはまだ三廻辺り、まさかに同じ骨にも当たるまい)

烏の出た辺りを目指して分け入ってみると、
果たして人の身の丈を越す葦の群れの根元に、
一箇の髑髏が淋しげに転がっていた。

「ふむ、小さいな。これならきっと若い女だろうさ」

老人でも子供でも頭が小さければ小さいのだが、乾は結構思い込みが強い。

「江戸の水際のどれほどに、こんな無縁仏が知られずにあるんだろうな…南無阿弥陀仏南無、弥陀仏」

片手拝みのもう片手で、瓢の酒を注ぎかけると、暮れ残る空を映すが如く、真っ白な骨がほのかに薄紅に染まる。

「俺のところは浅草門跡裏、腰障子に『乾』とあるから間違わずにおいでよ」

烏が上を旋回して威嚇するのも気に留めず、釣り竿を担いで意気揚揚と帰っていく乾であった。

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