078:鬼ごっこ


「…だから、兄と妹に同時に恋をして苦しむのが快感だったらしいんだ」

「ふうん。貪欲だね」

「でも、痩せっぽちで身なりも悪いし、忙しないわ、情緒不安定だわで、ちっとも実らなかったんだぜ?」

「でも、苦痛に対してだって、貪欲って言葉は当て嵌まるよ。
自分の手の届かないものをしかも、二重に欲しがったわけでしょ」

「たしかに被虐の欲求は滲んでるな。
彼が始めた、伝承じゃないお伽噺も結局は抑圧された願望の産物だから、美しく完結する」

「予定調和ってことだね」

急に、不二の口調はおざなりになって話を切り上げる。

「ふーじぃ」

…案の定、膝に、眼を覚ました猫がすり寄って来ている。

大体こいつは俺らと宿題をやりに(というより写しに)来たのに、

俺達が課題を終えるまですることないと言って転がって持参のマンガを読み、

挙句の果てに寝ていた。

「何、英二、寂しくなった?」

「俺のことなんか忘れたみたいにー、乾とわけわかんねー話してんだもん」

「僕も英二が寝てると寂しかったよ?」

「やっぱり、俺じゃなきゃだめにゃんだv抱っこしたげる!」

ぎゅーっvとハートマークつき擬音を振りまきながら、

菊丸は不二の細い肩を抱きしめ、髪をくしゃくしゃかきまわした。

「ちゅーもする?」

「乾いるじゃん…でもいっか、乾だし」

乾だしって何だ。

菊丸は、でも、ひどく優しい顔をして、不二の髪をかきあげ、額に唇を落とした。

まぶたに、鼻の先に、頬に、そして蝶が止まるようなやわらかさで唇に着陸する唇。

まともな構文も綴れない癖に、そんなキスはできるんだな、と、

俺はぼんやり目の前の2人を眺めていた。

「はぁ…」

火照った顔を、肩に埋める不二の頭を撫でながら、菊丸は俺の眼を捉えてにやりとした。

「お手本見せてやったんだからさぁ、ちゃんとやんなよね、乾」

「…もう少し他人にもわかるように喋れよ」

「とーぼけちゃって。か・お・る・ちゃんとにゃ!」

「かおる?」

6組の女子か?

「海堂のこといってるんでしょ、英二」

不二のくぐもった声がする。

「決まってんじゃん。乾のあつーい視線、薫ちゃんは気が付いてないけど、俺は気がついたにゃ!

菊丸様の動体視力をなめんなよ!」

「ああ、海堂か、あいつは興味深いと思って観察してるよ。性格もプレイスタイルも。

あれだけ努力型なら、工夫すればぐっと伸びる。あいつと」

「桃城でしょ。来年度からはレギュラー候補にもなるのはあの2人位」

呼吸が整ったらしい不二が顔を上げた。

「でもね英二、今、乾は始めたばっかりのゲームに夢中だから」

「何、なんかいい新作もってんの、乾!貸して貸して!」

「悪いが貸せないんだ、それに俺以外にはちっとも面白くない論理と確率のゲームだから」

「…ふーん」

納得したようなしないような顔で、菊丸はおとなしく不二のノートを写し始めた。

論理にはめ込まれて一歩ずつしか進めない俺の思考をひらりとこいつの勘は飛び越えてしまっていた。

まだその頃の俺は、いとおし過ぎるものは、自分もろとも壊したくなって触れずに我慢できないものだとか、

予測できないほど自分が駆り立てられる存在があるとは知らないという意味では、いびつな子供に過ぎなかったんだ


Fin.