079:INSOMNIA



「兄貴、いい?」

「ん」


ベッドに背中を預けて脚を投げ出した兄貴は、

ミントを齧るようにあっけらかんと薄茶色のタブレットを、

ひとつかみ口に放り込んで噛み砕いた。


全く悪びれてないもんだから、母さんも姉さんも気付いていないけど、

俺は知ってしまった。


「…心配しなくていいよ、裕太」

「でも、それって」

クスリ、だろ?

「ハーバルエクスタシーっていうんだ。ハーブのサプリメントみたいなもの。

…よく眠れるってだけだよ」


覗き込んだ兄貴の眼は、いくらかとろんとしていても澄んでいて、

聞いたことのある中毒の症状みたいなものは見えない。

息は何だか花とスパイスを混ぜたような、甘ったるい香りだった。


「これがないとさぁ…ベッドで、灯り消すと、

胸の中で、『好き』って言葉が、どんどん増えていって、

ドキドキして、息が苦しくなって、眠れないんだ…

会ってたとき、一杯言ったんだよ、『好き』ってさぁ…

でも僕の気持ち全部には全然足んなかったんだよね…

言いきらなかった分が…めちゃくちゃ溜まって…」


横に座った俺の肩に頭を凭せて、囁く声の端が、溶けていく。

支離滅裂になっていく。


「覚えてる?パセリ セージ ローズマリー タイム、って」

「…?」

「あれ、パセリのほかは…1個の名前って…思ってたよね裕太」

「そうだっけ…誰の歌?」

「ふふ、…僕のこと、音痴だって言ってた、英二」

「兄貴、」

「どう思う?ちょっと聴いてよ裕太 

Tell her to make me a cambric shirt,Parsley,sage,rosemary and …」


節も曖昧な細い歌声が途切れ、肩の重みが増えた。


丸ごと捧げてしまった心が、無くなった隙間一杯に、

あいつへの『好き』が詰まって、心臓を押し潰しそうなの?

そっとベッドに横たえると、眼の端から涙が一筋落ちた。


そっか、あの曲。

ずっとずっと昔、兄貴と英会話教室で習って、歌ったっけ。

確かに、あのときから音痴だった。

菊丸は、ちゃんと兄貴を見てたんだね。


Remember me to one who lives there.She once was a true love of mine.

そこにいるあのひとに よろしく伝えて あのひとはかつて僕の 真実の愛だった



Fin.


注:ハーバルエクスタシー (は一応合法)は実際は興奮剤です。
実際の効能と一致する薬物名だと色々差し障りもあるので、語感が好きなこれを入れました。