シャクシャクシャクシャク
波の音が混じった、外海の風が耳で鳴る。
人の声も遠い車の音もばらばらにちぎって、不意にかけらをぶつけてくる。
熱をはらんだ砂を、サンダルの底が噛んでいく音だけが、
現実味を帯びて迫ってくる。
振り返ると、八戒は足元を見ながら歩いている。
吹きなびく風に被さる前髪に顔は隠れて、唇しか見えない。
「キスしてぇな」
「ここで?」
…何で聞こえたんだろ。
先に走っていった悟空と、
ついていった保護者はもう、砂丘の向こうに隠れてしまってる。
* * * * *
悟空が帰っていった後、俺たちは黙って耳を澄ませていた。
静かなドアの音。
案外防音がいいらしく、くぐもった声は途切れ途切れに聞こえても、
言葉の形は成さない。
遠慮がちな水音の後、隣はしんと静まった。
遠くかすかに、まだ宴会場かどこかのざわめきが聞こえるばかりだ。
八戒がつと立っていって、しゃこしゃこ歯を磨く音が平和に聞こえてくる。
ミントの香りの、引き寄せた唇の間に掌が挟まる。
「歯、磨いてから」
「今晩省略」
「煙草の味がいやです」
「慣れてんじゃん」
「いいですか悟浄、歯っていうのは…」
眠たくて機嫌が傾いてるときは逆らわない方がいい。
最小限の手順で済ませる。3分かかってないはず。
…だのに。
コテンと転がって、すやすやお寝みだよ…
「はっかーい」
頬を挟んで、唇を合わせる。
でも中には入り込めない。
少し離して眺める。
やっぱり、痩せたな。掌に頬骨が、皮膚一枚で当たってる感じだ。
「ん…」
え?起きてんの?
もぞもぞ、身動きして俺の手から逃れると、
鼻先を俺の首と肩の繋ぎ目あたりに揉みこむようにして、
…また、すうすう寝息を立て始めた。
眠っていても、体はスイートスポットに入り込むほど、
俺たちは馴染んだんだな。
いつもと違うシャンプーと石鹸、シーツの香りの下から、
俺が確実に、切ったばかりの木のような八戒の匂いを探し当てるように。
いくらか湿った髪を梳く。
いない間開け放っていた部屋の空気は涼しさを通り越して冷たい。
伝わってくる体温が心地良いと思うほどに。
腕の中を揺らさないように
後ろに手を伸ばして、隣のベッドのカバーを手繰り寄せ、体をくるんだ。
トクトクトクトク
押し当てられた、八戒のこめかみあたりから、伝わってくる。
昔、静かな夜に枕につけた耳から響いて来た、規則正しい行進の音。
それが自分の心音だと知るまで、俺は、毎晩、
誰がどこへ行進して行くのか不思議に思いながら、眠りに惹きこまれていった。
いつまで、俺たちはこうしていられるんだろう。
こうして抱き合っているだけでも、柔らかくて温かい金色の環が世界にかかるような、
こんな気持ちは、多分一生に一人にしか持てない。
だけど俺たちみたいに平凡なサラリーマンは芸能人や自由業みたいに、
それも主義主張だっていって、同僚と恋愛してられるわけじゃない。
こんな静かな夜には、いつも時間に押しやられていたことも考えたいのに。
八戒の呼吸づかいが、かすかにずれて重なる心音が、
あんまり安らかで。
俺ももう逆らえない。
また明日、考えよう。
おやすみ。
* * * * *
砂丘を乗り越えた頃には、足の裏は入り込んだ砂でじゃりじゃりだった。
遠州灘は、抹茶ヨーカンの色で、激しく打ち寄せる。
満潮が近づいているらしく、浜辺はまんべんなく濡らされていた。
走って来た悟空が、枯れ枝を投げてよこした。
「競争しよー、誰が書いたのが後まで残るか」
俺は枝を折って長い方を八戒に渡す。
愛してるとか好きだとか書いたら嘘っぽい。
不意によく知っているメロディの切れ端が掠めた。
遠くに点にしか見えない群れが持っているらしいあのラジオからだろう。
今の景色にはぴったりなSummer FM、でも俺の今の気持ちなら。
STAY TUNED。
顔を上げた八戒が俺の足元に目を落とし、
息を引いて自分の文字を振り返る。
HOWEVER。
Fin.
なんだか半端なような…でも夏の幕切れはこんなものじゃないかなと。
オチは…
『恋人になる 君がいるなら 汚れた世界さえ楽園になる
大袈裟だって思わないでね 何もかも今始まるから』(STAY TUNED)
『 それでもどんなに離れていても
あなたを感じてるよ
今度戻ったら一緒に暮らそう
やっぱり二人がいいね
いつも
あなたを彩る全てを抱きしめて
ゆっくりと歩き出す
やわらかな風が吹く この場所で』(HOWEVER)
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