So cold the night




水の底から眺める光はたゆたい、背中の下が液状化してさらに沈んでいくような錯覚を引き起こす。

「そろそろ、いいですね」

肩を押えつけていた腕が離れ、一色の体はゆっくりと浮き上がった。


じっとりと重い衣服をかき寄せ、狭い浴室を出る。

通った後は、毛羽立った敷物に黒い道筋がついていく。


狭いシングルベッドで仰向いている彼の上に乗り、

纏わりつく上衣を広げて、隙間無く覆い被さる。

凶鳥の羽根に覆われた地上の影のように、

水の浸みたシーツが色を変えていく音がする。


鈍い振動音を立てている街灯の光だけが流れ入る部屋で、

彼の表情はわからない。


そして、じわりと、彼の着衣も浸されて(ひたされて)いく。

濡れそぼった布地越しに、彼の体温が漸く、温度のない一色の体に伝わってくる。

熱帯夜の今夜は流石に、襟元に薄汗が滲んでいた。

彼の匂いを貪っていると、

存在しない心臓が高鳴るようなあり得ない感覚が一色を襲う。


「貴方は体温も上がらないし、汗もかかないし」

笑いを含んだ声が降って来る。

「こういうときには便利ですね」

死体だから。

彼が殺した。


死臭を消すために薫き込めた荷葉が、

濡れた繊維の間からもしぶとく主張していた。

…彼に、温められて。


唇を骨張った指でなぞられるだけで、

戦きが走り抜ける。

地上にしがみついた彼への執着だけが、

この体を動かし、感覚を通わせているのだと、

微かに熱いその指の先が教える。


「さあ」

胸を押されて、半身を起こすと、

後ずさって、細い脚に貼りついた着衣を剥がした。

身動きする度、もう、一巡り情事を終えたような水音が響く。

片手で握りこんで、爪のみねで、袋の裏から筋、括れをゆっくりとなぞり上げると、

緩く頭をもたげていた彼自身が熱を帯びてくる。

既に濡れ光っているそれを口に含もうと一色が身を乗り出すと、

やにわに起き上がった彼の手が、

襟髪を掴んだ。


握り締めると滴を零す髪の束を、

拳の中で滑らせながら、一色の顔の前に持ってくる。

「冷たくて気持ち好いですね」

いつのまにか慣れた灰色の眼が、昏く光る碧眼を見分けた。


その手が、彼を握った一色の手の甲に重なる。

冷やりと重くうねる束を受け取ると、

丹念に、付根から括れに、巻きつける。

彼の瞳を見つめて、髪の上から握り締めた。

やんわりと扱きながら、そこだけは生々しく照っている先端に舌を這わせる。

濡れて、自分のものでないような、自分の一部の、

無機質な手触り越しに、感じる、脈動。

彼の生きている証。


髪が口に入るのも構わずにむしゃぶりつくと、

彼はくつくつと喉で笑いながら、

頭を抑えて腰を突き上げた。

自分の髪が巻きついて、顎が軋む程の質量に、

一色はひたすらに奉仕を続ける。

彼の律動に合わせて、がくがくと揺さぶられる膝の下で、

シーツと、一色の着衣が、烈しい水音を立てる。

溺れる。

感覚が浸水して、音の中で、息が詰まる。

存在しない心臓が、高潮に運ばれて、

喉から迫り上がる。


意識がフェイドアウトしかけた瞬間。

溶岩のように熱い迸りが、

一色の虚ろな内側を流れ落ちた。



額から、湿った前髪を払って、

彼はいつもの感情の無い笑みで、顎をしゃくった。

一色は痺れた膝を無理矢理伸ばして、ベッドを降りる。

「よく眠れそうですよ、おかげで」


ぴしゃりと音を立てて、シャツを脱ぐと、

彼は反対側にある、乾いたベッドに寝転がった。

夜明けが、近づいている。

ほの白く浮かんだ爪先に、そっとくちづけて、清一色は夜と朝のあわいに、姿を隠した。


Fin.