007:毀れた弓


椅子にかけた途端、ポケットから携帯が滑り落ちた。

「何やってんの」

三蔵が身を屈めるより早く、悟空がそれを拾って渡した。

「三蔵さあ、今週になってから携帯ばっか気にしてる。

なんか大事な電話かかってくんの?

マナーにして机に置いとけばいいじゃん」

「…そんなんじゃねぇ」


技術営業という仕事では、普通の外周り営業のように動きつづけるということは少ない。

会社にいなければ、現場(顧客の会社)にいる。

内勤の人間も、たいていは直接現場に電話してくるし、

客にしても会社にしてくる。

皆持たされている携帯は殆ど私物化していた。

三蔵以外は。


先月、悟空が三蔵と組んだ仕事の帰り、事故で、来る電車が止まってしまった。

皆一斉に携帯を取り出すホームで、三蔵も、

鞄を開けて、中のタブに付けたチェーンを引っ張り出したときには、

思わず悟空は声を上げてしまった。


「三蔵、携帯持ってたんだ」

「当り前だ、全員支給つったろ」

最低限の言葉で事情を話し、車で帰る、と伝えて切ると、

即座に階段を下りる背中を、悟空は慌てて追った。

「悟空、ダッシュで車拾ってこい」

「うん」

決断が遅れた他の客がわらわらと殺到するのを尻目に

二人が乗った車は滑らかに出て行った。

「あのさ、三蔵、携帯、見してもらっていい?」

「?」

何でだ?という顔で、渡されたそれは、

悟空と同じモデルなのに、新品のように光っていた。



携帯を開いては、パチリと閉じる。

かける用事が無い。

そういえば悟浄の仕事を知らない。


…ネクタイをしているのを見たことがない。

就業時間がいつなのかも知らない。


いきなり、心臓の隣にあるようなことを打ち明けた癖に、

普通最初に言うようなことを言わない。

三蔵にも訊かない。


どういうつもりかわかんねえから、

俺もどんなつもりでかけりゃいいのかわからねえんだ。



「…お先」

早く上がって出て行く三蔵の後姿を、他の社員は怪訝そうに見送った。

「どうしたんだろね、主任」

「どうって?」

「らしくないじゃん。ボーっとして。悟空、なんか知ってんの?」

「知らねえ。でも、ああいう三蔵のが俺、好きだな」

悟空は自分の携帯をぱちんと鳴らした。

「人間らしいじゃん?」



小春屋も、まだ混み出す前だった。

紅い色は、目に入らない。

…何とはなしに肩の力が抜けて、

やわらかい主人の笑顔に、自分も微笑った。


「今日は、三蔵君が好きそうなものがあるよ」

さっくり揚がった衣は香ばしく口の中で弾け、

豊かな魚の味と混ざり合う梅肉の風味がたまらない。

「鰯の梅巻揚げだよ」

「美味い…」

ほんのりと玉ねぎの甘みが効いたまいたけとあさりの卵とじも、

春菊の味噌汁も、

(…こんなに美味いもんあるのに、何やってんだ、あいつ!)


「いい鰯が一皿しかなくってね。これも、あと一食分なんだよ。

悟浄君が来れば食べさせてやりたいんだけどねえ」

「来させるよ」

三蔵は携帯を取り出し、発信しかけては止めていたリダイヤルを押した。

3コールで、悟浄が出た。

「…もしもし?」

「俺だ」

周りはやけにがやがやしている。

「…三蔵?何?」

「…今、どこだ?」

背中で、がらりと開いたガラス扉が、ぴしゃんと閉まった。

「あ、えっと」

「小春屋で、また食い損ねると惜しがるようなモンが出来てる。

俺はもう食っちまったから、今度は分けてやれねえぞ。

とっとと来い」

「…はい、来ましたよっと」

肩に手がおかれる。

おかしくてたまらないような、主人と目が合って、

悟浄が身体を二つに折って笑いだした。

「…んだよ」

不機嫌な声を出してみても、ふつふつと、胸の中から、

温かくて、心地良すぎて苦しいようなものが湧いて、とまらない。


ツーツー鳴っている携帯すら、

三蔵には、温かく感じられた。


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