005:釣りをするひと



「あ、あれやってみたくねえ?」

指差す先には、ぽつりぽつりと糸を垂れる人のいる釣り堀。

線路沿いに並ぶ柳の、けぶるような緑越しに、
いかにものどかな光景だ。

「…魚、どうすんだ?」

「あ。三蔵、さばけねえよな…?俺も。
キャッチアンドリリースでいーじゃん」

振り返った笑顔は逆光の中だ。

「この電車乗るといっつも、あ、行きてぇなーって思うんだけど、
降りると忘れてんだよなあ」

けれど声は柔らかく、表情を伝える。

「今度行こ?」

「そうだな」


その日は珍しく、ちゃんと土休が取れた。

昼過ぎの太陽は眩しかった。

大型電器店の前はいつも、何かのユニフォームを着た人間がわめいている。

足早に通り過ぎようとして、予期しない声がした。

「…三蔵?」

「ああ」

「何してんの」

「目覚ましの電池が切れかけてたから買って来た」

「目覚ましなんかもってんだ…きちっとしてんなあ」

「必需品だ」

「俺全部携帯で済ますもん。…携帯持ってねえの?」

「会社で持たされてる」

言葉が、途切れた。

悟浄がサングラスを外し、一呼吸、ためらった。

「あのさ、俺、服買いに行くんだけど、付き合ってくんねえ?」


踏み込まれた。

これまでなら、考える間もなく、押し出すはずだった。

だが、三蔵は頷いていた。



ターミナル駅で乗り換えて、10分ほどの駅で降りた。

駅前は、スーパーや惣菜屋の間に、ごたごたと
雑貨屋、美容院、カフェや靴屋がひしめいている商店街だ。

主婦や年寄りと、学生や、仕事の見当のつかない若いのが入り混じっている。


悟浄はひょいと、レンタルビデオ屋の横の路地に折れた。

「よ、久しぶり」

「そろそろ、悟浄も出てくる頃だって思ってたぜ」

「客を虫みてーに言うし、この店長」

「お連れがびっくりしちまうか…いらっしゃい」

目を丸くした三蔵に、店長だというスポーツ刈の男は、
人がよさそうな笑顔を向けた。

…顔しか見えないのだ。

色褪せた日除けの軒下に、びっしり吊るされたジャケットやTシャツ、をかき分けて、顔を出している。

狭い間口にも一杯に、ラックがひしめいて、彼の体を隠していた。

「足元気ィつけて」

さっさと入っていく悟浄に続いて、三蔵も入っていった。

店の中も、同じような密度だ。

壁一面の棚と、真ん中に置かれた棚の間はかろうじて
痩せた人間が横向きに通れる隙間しかなく、どの棚もぎっしりと詰まっていた。

「羽織りもんが要るんだわ」

「あのスカジャン、飽きたんならくれよ」

「それがさ聞いてよ店長、ひでぇ話。
酔っ払って車のドア挟んだ拍子にピーって裂けちまってさ。
やっぱナイロンてああいう時弱えな」

「ま、おかげでうちは商売繁盛ってこった。で、どんなん探してんの」

「今度は思い切り飾りッ気なくさ、何ての、『イージー・ライダー』の線」

「身幅狭めのデニムかバックスキン?衿詰まってるタイプ?」

「そう、そういうの無い?」

「スネークスキンははけたしな…これか、このあたりだな」

崩落寸前のようなラックと棚から、店長は器用に数着のジャケットを取り出した。

「やっぱここ来るとあると思った。じゃ、ご試着ターイム」

対面の試着室だけは、たっぷりとゆとりがあるサイズだ。

カーテンを開け放って、悟浄はまずスエードで縁取りをしたデニムに袖を通した。

「こっから長いですよ、座ってましょう」

レジの横から引っ張り出した丸椅子を三蔵に勧め、店長はレジの台に腰掛けた。

「いいコートですね」

店長の指が、三蔵の袖に軽く触れていた。

いかにもプロらしい手つきと眼のせいか、三蔵も不快には感じなかった。

「いいものを、ちゃんと手入れして、大事に着られてる。服も喜びますよ」

「コートは長く着るものだから、いいものを買うもんだって教わった」

「そういうとこが、三蔵って躾いいって感じする」

今度は固いバックスキンのジャケットと格闘しながら、悟浄が口を挟んだ。

「箸の使い方もきちっとしてるし」

「こっちはいいから、集中して考えな」

「へーい」

「俺、服が好きで好きで、こういう商売してますから、
自分が惚れこんで仕入れた服並べて、
その服がぴったり合うお客に大事に着てもらうとしみじみ嬉しいんすよ」

「店長、腕、上まで上がんねえ…」

「その革はまあ最低ひと月こなさねえと自由には動かないけど、
段々たまんねえ風合いになる」

店長は振り返りもせずにいなす。

さっき手にした数着のうち、
どの商品のことを言っているか見なくてもわかる位、店の物を把握しているらしい。

三蔵はちょっと感心した。

「そうだ」

店長は素早く反対側の棚にもぐりこみ、袋に入ったままの物を抱えてきた。

「お客さん…三蔵さん、これ、いかがです?」

一着は、濃紺のハイネックのプルオーヴァーで、
しなやかで上質の素材なのは、見ただけでわかった。

「いいモンですね」

「ええ、洗濯繰り返しても首が伸びたりしませんし、お値打ちですよ」

もう一着は、黒っぽいほど濃い、深紅のTシャツ。

「…俺、こういう色は」

「普段はいつも、そういう控えめな色着てられるんでしょう?
でも、たまには違う感じのもいいんじゃないですか?
三蔵さんみたいに手足長くて、細い人に合うんですよねえ、この色と形」

「三蔵、こっちとこっち、どっちがいいと思う?めちゃ迷う」

「迷うなら両方買っておけ」

「三蔵さんもこう言われてるぜ?」

「ひっでぇ、三蔵店長の味方すんなよ。
あー、なんかこなすと風合い上がるとかそういうのに俺弱いって知ってて店長汚えよなー。
即着るのも要るわけじゃん」

「じゃあ、お前それ着た○○(俳優)だのがSmartに載ったらどうよ?やっぱ買っとけばよかった俺のが似合うのに、なんて思わねえ?」

「わーった。俺の負け。両方イタダキマス」

「俺も、これとこれ」

「あ、そのTシャツいいじゃん」

「悟浄はだめだぜ、髪の色とさしあうから」

「ちぇっ」

「こっちのグレイならいいけどな」

「…商売うめえよな、ったく」

「いやあ、今日はいい日っす。またどうぞ」

店長はニコニコして、丁寧に品物を包んでくれた。



「専門(学校)入ったときから行ってるから…もう4,5年だな」

開店してすぐはろくに客もいなかったけれど、
最近はシーズン前にはスタイリストが漁りにくる程、その筋では知られているという。

「さっきの、コートの話もそうだけど」

悟浄はサングラスの視線を遠くに流して、呟いた。

「社会人なら目覚まし持ってるとか、箸きちんと持てるとか、
そういう、躾、みたいのっていいよな」

「…そうか」

『あの人』は何も、強制はしなかったけれど、
『あの人』のようになりたくて、その流儀を見習ったまでだ。

「俺、親早く亡くして、兄貴も、まだちゃんと大人ってんじゃなかったし、
二人食って、俺学校やってくれるだけで精一杯でさ。
勝手に大きくなったみたいなもんだから」

三蔵は、大きな手に、不器用に箸を握る悟浄の手つきを思い出した。

「親がいたって、出来ねえ奴も沢山いる」

自分の言葉は、もっと不器用だ、と三蔵は後悔した。

けれど悟浄は、嬉しそうに口の端を上げて、
並んで歩く三蔵の肩に、軽く肩をぶつけた。


06:ポラロイドカメラ



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