002:階段



「ちよこれいとっ!」

「何嬉しそうにしてんだ、アホ。」

「へへっ、貰っちゃったんだなぁコレ。」

本気で嬉しそうな笑顔をこれでもかと見せつけ、悟浄は三段抜かしで階段を駆け上がった。

「お前もやって見ろよ。三段抜かし。」

「やれるか、バーカ。」

「ちぇっ、相変わらず冷めてんの。」

三蔵は聞こえぬ振りをして、さっさと悟浄の横を通り過ぎた。

「ねぇ食う?」

慌てて追いかけた悟浄は回り込んで、可愛らしい包みを振って見せた。

「いらん。甘い物は嫌いだ。それに菓子屋の陰謀に乗せられるような俺じゃねぇ。
 
 それに異教徒の文化には興味がない。」

「お前年寄りでも今時そんなこといわねーゼ。」

そういうと悟浄は笑ってチョコを差し出した。

「まぁそう言わないで食えよっ。」

悟浄は指先で摘んだそれを、あっけに取られる三蔵の口に押し込んだ。

「食わず嫌いはよくねェよっ。じゃあな!」

「じゃあなじゃねぇ、全く。」

舌先で蕩ける甘ったるい感触とふと唇に触れた悟浄の指先。

「変な野郎だぜ。」

三蔵は言葉で否定しておかないと何だかマズイような衝動に駆られていた。

悟浄とは行き付けの飯屋で良く逢った。

お互い近所に住んでいるのは知っていたが、深い所まで聞いたことも聞かれたこともなかった。

この辺りは学生や独り者が多い所為か、飲食店やコンビニが建ち並び、夜遅くまで

賑わっていることが当たり前だった。

その中の一軒で、三蔵が一番気兼ね無く寄れるのが小春屋と言う定食屋である。

小春屋は、初老の夫婦でやっているこじんまりとした店で、

常連客ともなると、品書きにないものまでちゃっかり頼んだりしている。

頼まれた店主は嫌がるでもなく、寧ろ嬉しそうに客の注文に答える。

カウンターに日替わりで置かれる素朴な大皿料理も美味しく、家庭の味に飢えた若者に喜ばれた。

去年の夏のことだった。

三蔵がいつもように仕事帰り小春屋のカウンターで遅い夕飯を食べていると、

隣に座った男が突然話し掛けて来た。

「すいません、それうまそうだけど何て言うヤツ?」

「ああ、これ…おばさんこれ名前あるのか?」

「特にないけどね。若鳥の胸肉開いて、紫蘇と梅肉挟んだフライだよ。」

「おばちゃん、俺もこれとおんなじの頂戴!」

「ごめんねぇ。そちらさんので最後なんだよ。」

「そっかぁ。じゃあ生姜焼き定食にして。」

その表情があまりにも残念そうで、三蔵はついその男に声をかけてしまった。

「何なら味見に一つ食って見る?」

「マジ?アンタ良い人だぁ。」

備え付けの楊枝に一切れ刺して渡すと、本当に美味そうに食べている。

その男こそ悟浄だった。

くったくのない笑顔が眩しかった。

それから幾度なく、偶然か必然か…同じような時間帯に小春屋で出くわしては

肩を並べて飯を食った。

三蔵は元々、人と食事をするのが鬱陶しい方だった。

出来るなら一人で、好きな物を好きな時に食べたいと考えていた。

それに食事姿を見られると言うのは、どうも自分の内面を暴露するようで

緊張さえしてしまうのである。

自分に格好つけていたのかも知れない。

兎に角、食事と言うのは無防備で本能的な行為であると言うことが

三蔵の頭に引っ掛かっていたのだと思う。

だからいつも一人で来ては、小春屋のカウンター隅で黙々と食事をしていた。

店主夫婦は余計な言葉は一切かけず、時折メニューに無いものをこそっと

出してくれる。

三蔵の顔色でその日の体調をさりげなく気遣ってもくれた。

そんな細かな心配りが嬉しくて、ほぼ毎日通っていたのだった。

そこへ突然現れたのが悟浄なのである。

人懐っこい悟浄の存在を最初は煩わしいと思っていたのだが、週に3、4回と逢っていると、

今度は現れないと妙な感じがするものだった。

悟浄は面白い男で、給料が入ると必ず三蔵に小鉢1品を奢ってくれるのだ。

最初は遠慮していると、初めて会った日のフライのお礼だから遠慮しないでとにっこり微笑む。

その変わり三蔵が給料日には、小春屋を出てからコンビニで缶ビールを二つ買うのだ。

近くの坂の上にある公園の、長い階段に越し掛けて街の灯りを見ながら

他愛ない話で盛り上がった。

或る時三蔵は人と食事するのが苦手だが、不思議と悟浄とは気兼ねせず出来ると打ち明けた。

「俺もだよ。」と意外な答えが返ってきた時、心なしか悟浄の目が寂しそうだった。

ビールを飲みきるとそこで別れた。

いつももう少し話していたいと三蔵は思うのだが、それは自分だけかと言葉を飲み込む。

悟浄は公園の東方面に向かい、三蔵は逆方向へと足を進める。

近所に住んでいる年の近い男同士。

お互いそれ以上知らないし、知る必要もなかったのだ。

「冷めてなんかいねぇー。」

寒空に向かってぼそっと呟くと、一人になった三蔵は

階段に座り込み街の灯りをいつまでも見つめていた。

唇に触れた悟浄の指先を思い出しながら......




003:荒野





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