009:かみなり


「汚ねえ部屋だな…」

「いきなりそれかよ。−適当にどけて座っといて」


三蔵は目を泳がせた。

椅子がない。

そして床が見えない。


雑誌、本、アルバムらしきものがベッドと、ibookの載った低い座卓の間を埋め尽くし、

キッチンのリノリウムの床まで侵食しだしている。

三蔵はとりあえず前にあるものを拾っては横によけて道を作り、

座卓の前に腰を降ろした。


「あ、パソ、ベッドに上げといて」

立つとまた、片付けた周りからものがなだれ落ちそうだ。

中腰でノートPCを持ち上げ、ベッドに沈めた。

ふっと、シアームスクが寝具から立ち昇る。


「人の愛するブックちゃん10cm上から落すなよ、いくらベッドだからって」

「ibookはポリカーボネートが使われてんだろうが。マグネシウム製フレームでHDはラバーマウント。

こんなんで壊れる位なら欠陥品だから交換して来い」

「マジ?詳しいのな」

「仕事で知らなきゃいけねえんだ」

「そういや、何してんのか聞いてなかったよな、お互い。

ーま、ぼちぼちってことで、まず、呑も」


ビールのおまけのコップに、わずかに濁った酒がとろりと注がれる。


「んじゃ、乾杯」

口に含んで、三蔵の眼が大きくなった。

「美味いっしょ?」

「すげえな」

「『蓬莱泉 空』っての。なっかなか手に入らないらしーんだぜ」


悟浄は嬉しそうに、途中で買ってきたするめや韓国海苔の袋をバリっと開けた。


「あ、三蔵ってするめにマヨつける?」

「いや、別に」

「よかった。俺んとこ買い置きねーのよ」

「この海苔初めて食った。ツマミにいいな」

「塩とゴマ油塗ってあるんだよな。食いだすとやめらんねえんだけど、

かなり後で喉渇くぜ」


三蔵のコップに一升瓶を傾けた悟浄の手が止まった。


「…三蔵、なんか破いた?」

「いや?」

「あ、…ごめん、外だ」

三蔵の耳にも、紙袋を破るのによく似た乾いた音が捉えられた。

「雷…だな」

「雨にはならねえだろ。春のだから」


遠い雷は、閃きも見せずに、それきり沈黙した。


悟浄は掴み取った海苔を丸ごと口に押し込み、なにかもごもご言い出した。

「わかんねえよ、何言ってんだ」

「これ、油モンだから、屑絶対落さないでくれな」

「落さねえけど、こんだけ散らかってて言う台詞か?」

「でも、あるの紙だけだぜ。ゴミとか食い物のカスは毎日片付けてんもん。

匂いがやだし、俺、紙は汚いって思わないし」


言われて初めて、三蔵は部屋に入ったとき悟浄のコロンと煙草の残り香しかなかったのを思い出した。

今は、するめだの、酒の匂いがしているが。


「ちょい暑くなってきた。三蔵そっちの窓開けてよ。ベッド乗っかっちまっていいから」

言いながら、悟浄は廊下に面したキッチンの窓を開けに起った。

振り向くと、サッシをうまく持ち上げられずにガタガタさせている三蔵の肩越しに、

大きく柔らかい月が見える。


悟浄はぱちりと電気を消した。


「おい、手許見えねえよ」

「ほら、いい月じゃん。ちょっとそれ、コツが要ったわ、オラ」

三蔵の後ろから手を出して、ガタっと窓を持ち上げた。

重たいような春の夜気が心地いい。

窓枠に突いた手の間に居る三蔵も、黙って月を見上げている。

「三蔵って、香水とかつけねえんだな」

「ああ」









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