035:髪の長い女


「お客様?」

「あ、ごめんなさい、気持ちよくって、ちょっと遠く行っちゃいました」

微笑う眼は少し腫れぼったい。

「まだ、ブラッシングだけですよ、序の口。どんな感じにします?」

「ばっさり、切っちゃおうかな」

「こんな風になりますよ」

背の半ばを過ぎる長さを生え際でつかねると、露になったうなじが折れそうに細い。

「ずうっと、短くしたことないんです。

こんな風に...疲れちゃってるときって、洗ってても重たくて仕方ないのに...

あたし、家族もないし。

この重しが無くなっちゃったら、ばらばらに、吹き飛んじゃいそうで、不安で

...悟浄とは似たもの同士なんです、そういう弱いとこ」

白い手が、きゅっと、上っ張りを握った。

「髪はね、でも、切っちまってもいつのまにか、新しく伸びてくるもんですよ」

鏡の中の、捲簾の顔は、澄んだ優しさをたたえて、

心地良い指と一緒に、冷えて固まった比沙子の胸を、ふんわりと解していく。

「しがらみもね、どうしてもまた生まれてくるし」

「そっか...そうですね。一度、さっぱり軽くしちゃおう。お任せします」

「気分変えるならカラーもお勧めしますよ」

「もう、上手だなあ...ええ、お願いします」


*     *     *     *     *


「こんにちは」

「あ...っ、写真のご用命ですか?」

「いえ、悟浄さんの友達なんですけど...今、大丈夫かしら」

「は、悟浄ですね、は、はい!」


「悟浄、どこだよっ!」

「あー?俺もう上がりだって」

「訊いてねえよ、すぐ受付来い、金髪で、すっげぇ...おい!」

もう、悟浄の姿は廊下にも見えなくなっていた。

「ふふ」

「蓮実ちゃん、誰来たか、知ってんの?」

「こないだ悟浄のバースデイ飲みのとき、来たじゃん、もうつぶれてたから覚えてない?」

「え?いや、俺、でもあんな美人、覚えてないわけねーよ」

「確かに美人よね。悟浄、どんな顔してんだか、見に行こうよ」

ゆっくり歩く蓮実の後に、おそるおそるついていった同僚は、

いきなり立ち止まった蓮実の頭に顎をぶつけた。

「蓮実ちゃん、どした?」

「...誰?あれ」

カウンターにもたれて、ぽかんとしている悟浄の前にいる、

風に吹き乱されたようなザクザクしたショートカットの、小柄な女性。

大きなサングラスに半ば、顔は隠れているけれど、

唇の、艶やかなうねりだけでも目を奪う。

(..あのグラサン、ic!BerlinのSophiaだ、かっこいい)

白いレザーのライダースに、見事なラインの脚に食い付くようなカーキのブーツカット。

蓮実の視線に気付いた女性は、愉しそうに微笑って、

琥珀色のサングラスを外した。

「チャコちゃん!?」

「蓮実ちゃん、元気?」


*     *     *     *     *


「びっくりしたよもう...」

「えへへ」

肩をぶつけ合って、笑いながら歩く二人の後ろを、

悟浄はまだ違和感を抱えながらついていった。

「ほんとわかんなかった、髪真っ黒だったし長かったじゃん、いつも」

「今日、心機一転したの。美容師さんにも勧められて」

「仕事、いつから?っていうかさ、面接と全然違って大丈夫?」

「うーん、じゃ、もっぺんびっくりさせようか。じゃーん」

いきなり、金髪が消えた。

「おわっ!」

バッグを落とした悟浄に、ウィッグを手にした比沙子が肩越しに噴き出した。

指を通して、さらりと流れるのは栗色のシャギーボブ。

「なーんだ、ウィッグだったんだ...」

蓮実が比沙子の手からそれを掬い上げて、じっくり眺めた。

「さすがにね、金髪になってったらビックリされちゃうでしょ、オフィスじゃ。

カラーするときに、あんまり過激には変えられないからつまんないかな、って言ったら

これなら気楽に出来るよって。

ほんとに自分でもわかんない位違ったから、勢いでアローズ行ってこういう服も揃えちゃった」

「いいなぁ、あたしもやってみたい、今度これ、貸してよチャコちゃん」

「いいよ。ねえ、悟浄、髪なんてさ、切ってもすぐ伸びるんだよね。

人間関係だって、どんどん新陳代謝して、、新しく生まれるし、傷ついても修復してく、

あたしたち、怖がり過ぎだったかもしれない」

まっすぐに見つめる瞳の強さが眩しかった。

「お前って打たれ強過ぎんだよ」

「だって、今、失くしそうなもの、ない」

白いレザーの腕が片方ずつ、悟浄と蓮実の腕に絡んだ。

「友達は大事につなげてくことなら、できるもん、あたし」



36 きょうだい(変換自由)  



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