013:深夜番組


後ろ手に鍵をかけると、三蔵は鞄を落とし、

上着をキッチンの椅子に放って、畳に身体を伸ばした。


(…このまんま眠っちゃ、やばいな)

冷たい畳の弾力が背中に伝わり、
眠気は温かい泥のように神経を沈めていく。

リモコンを探り当て、テレビをつけた。


タレントを知らない三蔵には、
どのチャンネルも、同じような服を着た人間が、
同じような調子で喋っているようにしか見えない。

積もった疲労の上に、やたらに乳房を見せつける女の笑いがやすりをかける。


(牛乳、飲みてえ)

テレビを消そうとつかんだのは、
鞄から転がり出たらしい携帯だった。

ぱちりと開いた画面は、何もない。
ちらちらとテレビの光を反射するだけ。

(月曜から、だったか…?使ってなくても、4日で切れるってことか)


先週までは、律儀に充電していたそれを、
鞄の底に入れっぱなしで、見ることもなかった。

仕事ではチームで行動するし、
同僚は皆、携帯は肌身離さないから、仕事で要る場面もない。

そうやって、眼に入れずに、意識から追いやった。

丁度襲い掛かってきた仕事の津波は、
心を揺らがせる隙間も作らせなかった。

ふと、発信履歴をスクロールしたり。
買ってからしたことがない留守電設定やメールのサインアップをしようにも、
する暇がなかった。
迷う暇すらも。


心の皮膚がまた、硬くなっていくのかどうかも、
考える時間もゆとりもないまま、日付もぼやけるような速度で、時が進んでいく。


鎧われていた心が、殻を失くしたとき、
どこまでも柔かく、悟浄へと雪崩れていくのが、怖かった。


『怖がらないで、胸をひらいて行ってごらんなさい、
それが一番、楽な道なんですよ』


「あの人」になら、丸ごと心を預けてよかった。
子供の自分が頼っていた「あの人」は大人で、
普通なら父親、母親、家族の役割を全て担ってくれる存在だったのだから。


「あの人」以外の人間にされたら、許せないと思っていたのに、
頭に触れた悟浄の手の温かさが心地良かったというだけで、
「あの人」の代りに、してはいけない。

どこまで、近づいて、何を、分かち合えばいいのか。

…何がわからないかは、わかっているのに、
どうしていいかは、わからない。


三蔵は重い手足を引きずり上げ、財布と鍵を掴んで外に出た。

コンビニの灯りだけが、かろうじて目的を頭に留めてくれる。

夜間は点滅信号になる道路はもう、人も車も途絶えていた。

ぼんやりと踏み出した三蔵の前に、いきなり曲がってきた
大型のバイクが、烈しい音を立てて停まった。


「…三蔵!」


排ガスのにおいにも消えない、シェビニオンがふっと、鼻を掠める。

かなぐり捨てたメットからこぼれる、紅い髪。

「ライト…」

「え?」

「目、痛え」

「あ、−悪ィ!」

慌ててエンジンを切り、バイクを歩道に引きずり上げて、
振り向いたのが悟浄だと、
漸く三蔵の意識にしみこんでくる。

(何で、居るんだ?)

近づいてきている筈の姿が、何故か遠くなっていくようだ。


「三蔵!?おい、三蔵!」


コンビニの灯りが、散り散りに砕けて、三蔵の視界は暗転した。



「…ココ、何処だ?」

「駅前の○○共済病院。…過労だってさ。点滴打ったら帰って安静にしてりゃいいって。あと一時間位」

「すまん、迷惑かけたな」

「まーた他人行儀なんだからよ…持ってたの、財布と鍵だけだったよな?」

悟浄は枕元の台に置いた二つを指した。

「悪いが、財布開けてくれ。保険証入ってる」

「OK。あ、あるある。ナースステーション、出してくるわ」

「…と、もう1つ、頼んでいいか」

「何でも言いなさい、お兄さん頼れんぜ」

「一番外のポケットに、入ってる名刺みたいの…」

「これ?」

悟浄がつまみだしたのを見て、三蔵は頷いた。

「そこに書いてある番号、電話して、そいつ呼んでくれ」


暗い廊下に、悟浄のブーツの音がやけに響く。


突き当たりの公衆電話のある一隅は、わずかに明るかった。

自作したらしい名刺には、
孫悟空、という名前と携帯番号とメールアドレスが、凝ったフォントで刷ってある。

馴れない公衆電話の発信音を聞きながら、
悟浄は最初の言葉を考えていた。

(知らない人間から、『お前、誰?』じゃねえしな…)

真夜中過ぎに、三蔵がためらいも無く呼べ、というのは、
一体どんな奴なのか。

知りたい。
知りたくない。

何度呼び出したら、切っていいだろう。
いや、留守電位は入れないと。
公衆着信じゃ出ないかもな。

「…もしもし?」

自分より、三蔵よりかなり若い声。


014 ビデオショップ 




012へ

Hybrid Theory Top