028 菜の花


「俺が正しい訳でも、お前が間違っている訳でもない。
 何でも白黒つけようとするから、余計苦しくなるんだ。」

三蔵がそう語り掛けると同時に
悟浄のシアームスクが一際香り立った。
急に背後から抱きつかれたのだ。

回された腕を振り払うまでもなく、三蔵は自分にも言い聞かせていた。
〜何でも白黒つけようとするから、余計苦しくなる〜

人の体温が心地良かったなんて遠い記憶の片隅にしかなかったのに。


時計の音だけが響く部屋で


背中に感じる鼓動


その速さがすべてを物語る。



長い沈黙の後に悟浄が口を開いた。



「三蔵...怒んねーの?」

「聞くんならするな。」

「振り払わなかったってことは、あんまり怒ってねーな(笑)」

落ち込みの度合いが幾分解消されたらしい。
悟浄の表情を確かめるまでもなかった。
声のトーンが明らかにさっきと変わっている。

悟浄は安心したように背後から三蔵の手を握った。

「冷てぇ。」

「お前のが興奮してたから、熱過ぎるんだ。」

「もうとっくに収まってるぜ...
 無闇な暴走は見なかったことにしといて。
 つーか今もちょっと暴走してる気分だけどな(笑)」

悟浄は言葉を続けた。

「自分のしたことを無理に正当化したかったのかもしんない。
 あいつらが幸せになれば俺もいつかは...なぁんて。
 兄貴と蓮実に俺自身をオーバーラップさせてさ。
 だからはっきりさせたかった、けど..... 余計なお世話だし 
 三蔵の言った通り正しい答えなんてねぇんだな。」

「ああ.....誰が正しいなんて解っちゃねぇ。
 けど最終的には自分で出した答えを正しいと思わねぇと。」
 

三蔵自身迷いそうになった時、頼れるのは自分だった。
それは「生まれてきたことに誇りを持って生きる権利がある」と
あの人が教えてくれたから、自信を持つ事が出来たのだ。
多感な時期を複雑な環境で過ごしてきただろう
悟浄にはそんな助言をしてくれる人は居たのだろうか?
居なかったのでは?と思うと少し胸が痛んだ。



親は居なくても、あの人の元で温もりや優しさに触れていた。
おぼろげにでも本物の暖かさを覚えているから、
寂しさを紛らわすための温もりを、無理やり手に入れようとも思わない。

でも悟浄はどうだろう。
寂しさを紛らわすための温もりが必要なのだろうか...

ふと考えて三蔵は握られた手を軽く握り返した。







「三蔵...」

「何だ。」

「もしかしてこれ朝飯用だった?」

照れくさかったのか、悟浄は手を解き、残したパンを指差し聞いてくる。




「ああ、俺に夜食の習慣はない.....。」

「ふーん。」

悟浄はえらく嬉しそうだった。
宝物でも発見したみたいに。

だがそれ以上は聞いて来なかった。
今夜は帰れとは言われないのが解っているからだった。

「さんきゅ」
悟浄の唇が微かに耳元に触れた。


「俺ガキ臭い?」

「ガキ以下だな。」



本当に手のかかる子供みたいな今夜の悟浄だった。
喜怒哀楽が激しくて見ていて飽きない。

そんなことを考えている自分が可笑しくて
三蔵は膝に顔を埋めて笑った。
あの人もそんな気持ちで自分たちに接していたのかと。
楽しみながら大事に育ててくれたことを思うと、
与えられてばかりだったことが悔やまれる。

蝶を追い畑を一緒に駆け回った懐かしい風景が脳裏をかすめた。
見渡す限り黄色一色に塗り潰されたあの場所は、あの人の故郷だったのだろう。

「三蔵。どうかした?」

「いや、何も」

心臓の奥がむず痒くなり残ったビールを一気に飲み干した。







029 Δ(デルタ)前編





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