019 ナンバリング(前)
蓮実は、一瞬三蔵の肩越しに悟浄を見て、
悪戯っ子そのものの、満面の笑顔になった。
「こんばんは、あたし、悟浄の同僚で、蓮実紗依っていいます」
言いながら、嬉しそうに、手を差し出す。
三蔵が釣られたように出した手を、蓮実は両手でぶんぶん振った。
(威勢のいい女だな…)
でも、感じがいい、と思った。
三蔵を初めて見る女は大抵、
ひどくぎごちなくなって、ろくに口も利けないか、
逆に、ひどく馴れ馴れしく話しかけたり触れてきたりする。
「俺は玄奘三蔵。○○テクノシステムズでシステム管理を…」
無意識に、財布のポケットを探りかけた。
「あ、名刺なんていいですよ、あたしもオフじゃ持ってないもん。
あの、悟浄とあたし、悟浄のお兄さんのお店行くところなんです。
よかったら、一緒に行きません?」
悟浄が、慌てたように割り込んで来た。
「兄貴、隣町でバイクのカスタムショップとバーやってんだ。
こいつ、見かけによらずハーレー乗っててお得意なのよ。
三蔵、そのうち連れてこうと俺も思ってたんだけど…まだ本調子じゃないだろ?」
「会社で散々傷病兵扱いされてうんざりしてんだ、お前まで同じかよ」
三蔵は悟浄の肩を小突いた。
「じゃ、決まり!ねえ、3人ならタクろうよ」
「あ、てめぇそれ狙ってたな?」
「ま、ね。タクシーだと初乗りの距離なんですよ、3人なら電車乗るのと大差ない」
蓮実はてきぱきとタクシーを止め、三蔵を先に乗せて、悟浄を助手席に押し込んだ。
「何だよ、何で俺だけ…」
「こんなでっかい人二人に挟まれたら私窮屈じゃん。三蔵さんのが細いし」
悟浄はぶつぶつ言いながら行き先を運転手に説明し始めた。
ふと、三蔵は耳元に熱を感じて、びくりとした。
「あの、強引に誘っちゃって、すみません…」
すり寄って、囁いた蓮実の声は、さっきまでの勢いは微塵もない。
「初めて会う人に、あれなの、わかってるんですけど、
でもチャンスっていうのは前髪掴まないと後ろは禿げてるっていうし、その」
「…悪いけど、整理してから言ってくれねえか?」
三蔵も低い声で答えた。
わけがわからないながら、蓮実が必死なのは伝わってきた。
どうやら、前に居る悟浄に聞かれたくないらしいことも。
悟浄も気になるらしく、言葉を切って、振り向いて何か言おうとした。
「お客さん、すいません、△△町のGSを、右で、それで?」
だが、運転手に遮られて、渋々また説明を繰り返しだした。
「三蔵さんは、バイク乗る人ですか?バイク好き?」
「いや、二輪免許持ってないし全然」
「じゃ、あたしがパーツ見たいって言い出したら、バーで待ってるって言ってくれませんか?
そしたら、慈燕さん、あ、悟浄のお兄さんそういうんですけど、
きっと自分が倉庫行くから、悟浄に三蔵さんのお相手してろって言うと思うんです。
三蔵さんも一緒に来られたら絶対悟浄ついてくるし、その…」
三蔵の眼の端に、頬に血を昇らせて、俯いている蓮実が映った。
つまり、彼女は悟浄の兄と二人になりたい、ということか。
「わかった」
気が利かない自分が果たして彼女の助けになれるか、自信はなかったが、
ひたむきな蓮実の表情には、心を動かすものがあった。
「すいません」
申し訳なさげに、しゅんと肩をすくめた彼女の手を、励ますように、軽く叩く。
柔かい感触で、自分がしたことに気付いて、驚いた。
すまながることはない、という気持ちを伝えたかったのが、
蓮実にはよくわかったらしく、揺らめくような瞳で、微笑った。
「なあ、二人の世界作られると、俺、ハブになっちまうんだけど…あ、次の信号で曲がって下さい」
振り向いた悟浄の、ふてくされた顔が子供っぽく見えて、
三蔵は腕を組んで鼻先で笑って見せた。
「あ、三ちゃん何、その態度はよ!」
「お前時々ガキくせぇな」
「ッきしょ」
「あそこでいいんですか?」
「あ、はい」
町外れのその店は、もう半分は灯りが落ちていて、片側の、西部劇に出てきそうな小屋に、
『Desolation Row』という書き文字スタイルのネオンが光っていた。
ぎい、と重い扉をあけると、古臭いバドワイザーのネオンと、
ところどころに置かれた、石油ランプもどきのスタンドに淡く照らされただけの、
どこか燻った匂いが漂う、暗い店だ。
「兄貴、いんの?」
「ああ、お前か」
カウンターの奥から身を起こした男の顔も、よく見えない。
ただ、背が高く逞しい輪郭だけが、ぼんやりとわかった。
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