39:オムライス(前)


「んじゃ、今回の分」

ワゴンのドアをロックすると、悟浄は皺くちゃの千円札をポケットから引っ張り出して、三蔵に渡した。

「暑いとこでわざわざ渡すことねえだろ…」

「呑んだら忘れっから」

三蔵のアパートの向かいにある駐車場は、

殆ど、その近くの官公庁が借りていて、土日や祝日はがら空きだった。

オーナーが三蔵のアパートの大家だと聞いた悟浄は、

休みは一回千円(月曜朝まで時間制限なし)で停めさせてくれるよう話をつけていた。

悟浄が停めたときは三蔵に料金を渡し、三蔵がついでの時に大家に渡すのだ。



悟浄がぶら下げている、冷たいビールのビニール袋があっという間に結露して

皺を伸ばして札を財布に納める三蔵の影に、ぽたぽたと雫を滴らしている。

「三蔵の部屋でビール呑んでー、5時過ぎたら小春屋行ってー、

酔い覚めたら帰るしー、覚めねえんだったら泊って直行してー」

砂利を踏む足音に拍子を合わせて言いながら、悟浄は先に立ってアパートに向かった。

「最後んとこ聞いてねえぞ?」

「あら、飲酒で捕まっちまうと俺もう免停なのに三ちゃん冷たいわー」

「スピード違反溜まってんだろ、自業自得じゃねえか」

「だってさー、外廻り仕事んときは時間ピッタリじゃねえとダメじゃん俺の仕事。

いくら余裕持って、事前に工事とか調べて出ても、引っかかるときって出てくんだよなー。

そういうときに限って、あのカメラの奴にひっかかっちまうし。

うちの店、皆ゴールド免許諦めてんよ。職業病?ってのとも違ぇけど。

三蔵ゴールド免許?」

「乗らねえからな」

鍵を開けると、顎で「入れ」と示す。

愛想が無い割に、そういう礼儀のようなものは崩さない。

「あ、涼しい」

「ここ、昼過ぎまで陽が当たるんで、タイマーで入れてる」

「寒いのよか暑いの苦手だよなー三ちゃん」

「男は大抵そうだろ」

「そういやそう。女は逆だな。店でさ、冷房きつくすっと女子からブーイングすげえの。

蓮実なんか毛布被ってじーっとスイッチの近くの奴にガン飛ばす」

その図が目に浮かんだらしく、三蔵は薄く笑って、缶ビールをぐっと呑んだ。


「小春屋、ご無沙汰だからすっげぇ楽しみ。なんか行かなくなると敷居高いしー」

渇いていたところに浸透するアルコールが、

悟浄の舌を軽くさせ、言うつもりだった以上の言葉を走らせる。

「三ちゃんに連絡すんのもさ、ちょっと途切れると何て言っていーかわかんなくなってさ…

今日いきなり来るのに、冷たくされねーかかなりビビってた、ぶっちゃけ。

でも一緒に行けて、すげぇ嬉しかった…」

あっと思ったときは遅かった。

まるで、付き合っている女に言う台詞だ。

三蔵の顔が見られなくて、悟浄は二本目のロング缶を引き寄せてがぶりと呷り、むせ返った。

「うー…ぷ、はっ」

「オヤジくせーな」

「ええオヤジっすよ!」

「俺は小春屋、結構行ってた。最近は社内で終業する日多かったんでな」

二本目の缶を開けながら、三蔵は平坦な声で言った。

「お前が来ないんで、おばちゃんがどうしたんだろう、って言うだろ。

訊こうかってそのときは思うんだが…

忙しいんだったら、そんだけの用で手間かけんのもどうか、って思ってるうちに時間が経ってた」

悟浄はそっと、目を上げた。

手の甲で口を拭った三蔵は、薄赤くなった眼でじっと、見返してきた。

「今まで、大抵、しようかと思うと先にお前から連絡あったからな。

今日、俺も電話でもするか、と思って初めて気付いた」

「…そっか」

今、手を伸ばしたら、冷たくなっている手に触れたら、どうなるんだろう、と悟浄は思った。

むしょうに、そうしたい。

でもそうしたら、何か取り返しがつかない、少なくとも今まで通りにはいかないところに行ってしまうだろう。

今、心地良いこの時間と引き換えに、自分は何を欲しがっているのだろう?



力無いノックの音が、背後に響いて、悟浄は反射的に起ち、椅子を倒した。






39 オムライス(後)  

また、また前後編やっちまいます…


038 地下鉄 へ

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