43  遠浅


悟浄は比沙子たちがテーブルに落ち着く前に
一人で目の前の料理に手をつけ始めた。

胃がからっぽなのと八戒に腹を立てていたのとの相乗効果で
何か入れないと穴でも空きそうだった。

「あんた、行儀悪いわよ。少し待てないの?」

「背に腹は変えられねぇんだよ」
蓮実に窘められても止めなかった。

ヤケになって口に入れるだけの行為は
味も素っ気もなかった。

前に来たときはもっとおいしく感じたのに。

自分はそんなデリケートな人間だと思っていなかったのが
見事に否定されている。

悟浄は深呼吸をした。

改めて見直すと自分を取り囲む面々が一斉に自分を
見つめているのが解った。

確かに行儀が悪かった。

「頂きます」

八戒が礼儀正しく挨拶をしてから食事に手を付けると
さっきまで強張っていた表情の比沙子が続いて言った。

「頂きます」

「はいどうぞ」

ぼそっと三蔵が答えた。

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ちゃんと挨拶が出来る人に悪い人は居ないの。
うちは誰が顔合わせてもおかえりの一言もなくて
勉強はしたの?とか、忙しいから後でとか
挙句の果ては「あら、比沙子居たの」でしょ。
 
だから悟浄たちと会って「ひーちゃん毎度」とか「チャコ帰るなよ」って。
へたな料理作った時「ありがとう」って言われたのが凄く嬉しかった。
うちでは聞けなかったから。
 
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昔、比沙子が言っていたのを思い出した。


胃に物が入って冷静になると、
確かに八戒の言うように自分たちはフェアじゃないことに気付いた。

子供の喧嘩でも親はまず自分の子を庇うだろう。
しかしそれが必ずしも正しいとは限らない。
お互いの話しに耳を傾けてこそ正しい判断が出来るのだ。

「おいしいですか?」

小さな声で比沙子が問うと

「はい、後でオーナーに作り方聞きたいくらいです」

と興奮気味に八戒が答える。

何品か平らげた後、もう一度、悟浄は深呼吸をした。

「あんたの言うことにも一理あるわ、弟さん。
俺、取り合えずここではうまい飯食いたいからさぁ」

八戒は言いたいことをすぐに察知したらしく

「僕も今そう思っていたところです」
と、柔らかに微笑んだ。

テーブルの下で三蔵が悟浄の足を蹴った。

「悟浄、足りないから追加しに行くぞ」

悟浄の腕を引っ張ると三蔵は店内に入って行った。


「足りないって今日は食欲ありますね三蔵さん」

「そうじゃねぇって」

「じゃなんですか?」

「少し冷静になったなって褒めてやろうと思って」

「褒めるって...」

「比沙子さん、ちょっと心開いてただろ。ヤツに」

「三蔵も気付いた?意外なんだけどね。それで気持切り替えた」

「あのままの空気じゃ良くなかったからな、正解だ」

「なんか三蔵に褒められると嬉しいなぁ。
ほんとのとこさっきまでなんか食った気がしなかったんだ」

「これうまそうだぞ」

「どれ?あっカルボナーラ」

「すいません。これ大盛り」

「三蔵、大盛りはないんだって」





三蔵の気配りに少し驚いたが、二人が席を外したことによって
残った三人の会話が戻る頃には弾んでいた。

「三蔵も俺と同じことやったー(笑)」

「なに?」

蓮実が聞き返す。

「カルボナーラ大盛りって」

蓮実は手を叩いて大喜びしている。
比沙子も思い出したように笑った。



それを見て悟浄は安心した。

出会った頃、比沙子はあまり笑わなかった。
悟浄もそうだった。
どこかお嬢さんっぽい育ちが自分とは違ったが、
愛情に飢えているところが似ていた。
遊び仲間と一緒に夜中の海に行った時、
一人で海辺に歩いて行く比沙子を見て
慌てて追いかけたことがある。

「何慌てているの?」と聞かれたが
そのまま沖まで出て行きそうな気がして
冷や冷やしたとは口に出せなかった。

簡単に手に入りそうな幸せには目を向けず
敢えて障害があるような恋ばかりする比沙子。

もしかしたら、八戒もそうなのかもしれない。

折角、田舎から出てきたのにこのまま喧嘩別れで
また帰るのかと思うと可哀想に思えてきた。
捲簾のところで湧いた感情とは全く逆の思いだった。


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