037:スカート


深紅の肩と黄金色の髪が、ふっと、黄色い波に消えた。


「え?あっ、ちょっ…」

とりあえず、ニコンのレンズに蓋だけすると、悟浄は手で光を遮りながら、

三蔵が居た辺りに目を凝らす。

レンズ越しに見つめ続けた春の午後の強い光は、

全てを、白く融かすようだ。


「三蔵?…なあ、三蔵!」

汗が、脇腹を流れる。

がさがさかき分けていく菜の花の群に、閉じ込められたような気がしてきた。


「何だ」

声は、いきなり足元から響く。

ボサボサした菜の花の茂みに埋もれ、

三蔵は大の字に寝ていた。

「何って、いきなし見えなくなっちゃ、焦るっつうの」

言いながら、悟浄もその辺を払って、腰を降ろす。

目を庇っている三蔵の腕に、ふらふら飛んできた紋白蝶がとまった。

「チョウチョ、とまってんぜ」

「ああ、匂いがすんな」

「えー?匂いなんかあるか?」

「ガキの頃、捕まえて羽根つまむと、粉が取れるだろ。

その匂いが…なんか、春の花に似てんだ。

むせるみてえに、濃い甘い感じの」

「それって花の蜜とか花粉の匂いが蝶についてたんじゃねぇの」

声の震動が伝わったのか、蝶はまた、酔ったように頼りなく飛んでいった。

「空、たっけえな」

「眩しくて見てらんねえ」

カメラをケースに収めると、悟浄も体を倒した。

ひっきりなしに揺れ続ける、黄色い花々の合間の空は、

懐かしい色をしていた。



海沿いの国道にある評判の讃岐うどんが食べたい、と、悟浄は、

休みの朝、三蔵を引っ張り出して来た。

朝とも昼ともつかない時間は案外空いていて、2杯ずつ平らげた二人は

重たい眠気を持て余し、車を畑道に停めて歩き出した。

潮風に、ふと、甘い匂いが混じった辺りで、

緩やかに海に降りて行く道に入ってみると、突き出した棚地、

おそらくは休耕田に種を蒔いたらしい、盛りをやや過ぎた菜の花畑が広がっていた。

悟浄はぶら下げてきたニコンを構えた。

三蔵はポケットに手を突っ込んだまま、踏み込んで行く。

深紅のシャツの背中は、ひらりと落ちて来た別の花弁のように、菜の花の海に浮かんで見えた。



「俺さ、最初の記憶ってさ、なんかこういう…あ、でも花は咲いてねえの、

なんか背の高い草っ原、お袋のスカートの裾握って歩いてる時なんだ。

スカートが青くて、草の匂いが、息苦しい位だったのははっきり覚えてる。

俺が…小学校入る位までは、時々日曜におにぎりとか持って、

近くの河原とか、どっかこういう田舎とか、行ってたから、そういう時だったんかな」

悟浄は、三蔵に、薄れる一方の思い出をためらわず話すようになっていた。

小学2年で、家業の経営がぎりぎりになった親が自殺同然に死ぬ、というピリオドを

同情されるのは厭で、その前の思い出も人には言わなかった。

三蔵は、生温い反応は一切しない。

親の顔を知らない自分の境遇を受け止めているように、淡々と聞くだけだった。

そしてたまに、自分と「あの人」の話もすることがあった。

悟浄は、そのとき、微かに柔かい色になる三蔵のまなざしを見るのが、好きだった。


「『あの人』はたまに、俺らをこういう菜の花の畑に連れて来てくれた。

住んでたとこからふた駅位行くと割ともうこういう畑ばっかのとこがあった…

俺が、一番小さかったんで、『あの人』の袂に掴まって歩いた。

いつも着物だけど、袂ってのは掴まるのに丁度いいんだ」

「ふーん…」

「部屋で寝てても、仕事のこと頭詰まってギチギチになって休まらねぇけど、

こういうとこ居ると、違うこと考えて、なんか楽になんな…サンキュー」

「何、付き合って貰って、礼言うの俺の方じゃん」

「そうか、じゃ、返せ」

「あら?どっか落とした」

「探せ。俺はしばらく寝る」




38 地下鉄  



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