010:トランキライザー


「でもシャンプーのいい匂いがする。」

「そうか?自分じゃ気付かない...」

間近に香るシアームスクばかりが気になる。

悟浄は覆い被さるように窓枠に手を延べたまま、ぽっかりと浮かんだ月を見ている。

「満月を見るとさ、なんかワクワクすんだよね。絶対何かいると思わねぇ?」

「別に....思わんな。」

手の間から三蔵がボソっと答える。

「もぉ面白くねェな。兎さんとか女神さまとか魔物とかがワンサカいて

こんな夜には妖しい光を送りこむんだぜ。そして何かが起こるんだ。

つまり、満月が俺の心を惑わすってぇの?それも心地よい夢のような。」

「お前って、野生度高いファンタジー野郎か。」

「やっぱそう思う?前世はシベリアオオカミとか。」

「ああ、『妖魔調伏』もしくは、種族の繁栄を一手に担うって感じだな、お前は。」

「妖魔って!んじゃなくて、シベリアオオカミは背が高くて足が長いのが特徴じゃん。

 そういう三蔵はアレだな、ニッポニアニッポンって感じ。」

「......」

「希少価値なくらい堅物で(笑)そこが俺気にいってんだけど。へへっ。」

月が心を惑わすか......悟浄の言葉がストレートに入り込む。

曲がりくねった先にある防御壁は粉砕寸前だ。

悟浄の前ではこんなにも脆い。

ドーパミンもアドレナリンも遮断しないと、思考回路がバラバラになりそうだ。

何もしないで、何も考えないで流れに任せたいと思う自分がいる。

でも不器用でそれが出来ないのが腹立たしい。

一瞬の隙にウダウダ考えていると、眩暈がしてきた。


「どした?顔青いぜ、疲れてる?」

「いや、なんでもない。ちょっと貧血気味で。」


心配そうな悟浄を見て、つい誤魔化した。


「少しここで横になってろよ。」


そういうと悟浄は離れて座卓に座った。



「三蔵さストレス溜まってない?俺、今はこんなだけど、すんげぇネガティブだった時期あるんだぜ。

よく眩暈とか起こしてさ。その頃家もグチャグチャで親もへったくれもなくって。

居場所もなくってグレるのは超簡単なんだけど、自己嫌悪で変なストレス溜まるわ、

考えているとドンドン落ちてくわで、頭とか割れそうになってもぉ

訳わかんなくなったりして...でもその時に仲良かったヤツに言われた言葉が、

”落ちるまで落ちたら、後はない、上がるだけ”って、

どん底ってことは底無しじゃねーんだよなぁって閃いて(笑)

それから何年かして偶然アイツと出会ったのが運命だったかも。

で、アイツのおかげでパーっと視野が広がった。」

そういって棚の上のカメラを指差した。

なるほどカメラ好きか、どうりで部屋中アルバムや写真だらけだ。

「だから、三蔵の眩暈もそれかなぁなんて...違ってたらゴメン。」

三蔵はコクっと黙って頷いた。


悟浄はそれ以上は聞いてこなかった。

「一人で喋くってワリィ、もう落ち着いた?」

「ああ。大丈夫だ。ところでお前の仕事って?」

「あっ、まだ横になってろよ。仕事は一応カメラマンの端くれ(笑)駅前のスタジオ知ってる?」

「知ってる、今丁度入園入学で忙しい時期だな。」

「まさにそれ!でさ、俺、こう見えても、最高の笑顔引き出すのうまいんだぜ。」

本当にそうだなぁと口には出さなかったが納得していた。

「無垢な赤ん坊の笑顔とか可愛くてたまんねぇの。」

「ウィンドウの写真もお前が撮ったのか?」

「うん、先月入れ替えて今メインのポジションは俺のが奪った(笑)。」

「ふーん。」

少し落ち着いた所為で、ガチガチだった防衛本能が和らいだ。

「印象に残ってるな、あの写真。」

「あれ三蔵見てたのか?」

「ああ、あの兄弟良い顔してた。」

「ま〜じ嬉しいぜっ、三蔵。」

上機嫌でグラスの酒を飲み乾すと、ベッド横に座り込み寝ている三蔵の顔を覗き込んだ。

「なぁ今度、一緒に行かねぇ?」

「一緒に行くって...どこへ?」

「俺、作品として風景撮ってんだ。行く?」

「ああ、前もって言ってくれれば付き合う。」

「良かった。断られるかと思った。」

「いや、俺だってたまに美味い空気も吸いたいし。」

「サンキュ。三蔵のオフ日ゲット!(笑)」

笑いながら頭をポンポンと軽く叩かれた。

普段ならムカツク行為なのに妙に懐かしい気がしたのは何故だ。

今は居ないあの人の影......

どんどん入り込んで来る悟浄を拒む理由など

もうどこにもなかった。

月の光に導かれたのだろうか?

渇いた静寂が崩れかける音がした。


「三蔵、今日このまま居てくんない?」





011 柔らかい殻




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