031:ベンディングマシーン(自動販売機)前




咽喉が渇いて、眼が覚めた。

呑みすぎた翌日の、胃の後ろからシーツに生える根を引っこ抜くような、

重苦しさを何とかはねのけ、ペットボトルから直にボルビックを流し込む。

「…う、寒」

神経が起きてくると、鳥肌が立った。

何でかスウェットの下一枚で寝ていたらしい。

振り返ると、自分が脱け出したままの布団の繭、

上の金具が2つ壊れて、隙間から西陽が卓袱台に丸く落ちるカーテン、

人一人分通れるだけ、片寄せた雑誌や本の積み重なり。

何一つ変わらない光景だ。


「居たんだよな…?三蔵」


誰も応えない自分の声が、やけに心細く聞こえた。

潜り込んだベッドは冷たくて、また押し寄せてくる眠気の中でも、
探している匂いは見つからなかった。


*      *      *      *      *      

馴染み深い震動が、腰に触れた。

「携帯…三蔵の?」

合皮の椅子から滑り落ちかけたのを渡すと、
ディスプレイを見た三蔵は、すぐ起った。

「ちょっと、外す」

「ん」

(細っせぇな…)

アルコールと、煙たい空気の中で、熱を含んで暈けた眼の前を、
三蔵のズボンの脚が跨ぎ越して行く。

ウエストが、両手で掴めそうだ。
悟浄は自分の手の指を思いっきり広げて眺めてみた。

濃いグレーのウールは、スーツの下らしい。
いくらか着萎えて、皺が出ていた。

「今日も休日出勤してたんかなー…」

呟いた言葉は宙に消えた。

5分もしないうちに戻って来た三蔵は、
また悟浄の脚を跨いで、天蓬の腕を取った。

「そろそろ、引き上げるぞ」

「えー、話は佳境なのに、ねえ蓮実さん」

「そうそう、って何の話してたんだっけー!あははっ!」

蓮実と天蓬の前にあった角瓶は底に褐色の筋しか残っていなかった。

ビールでは物足りない、といって天蓬が取り寄せてから、30分ほどしか経っていない。

蓮実の眼は完全に据わっていたが、天蓬はけろりとした顔色でにこにこしている。

「あの、お客様、レジを閉めますので恐れ入りますがお会計を…」

店員が恐々声をかけたが、蓮実はケラケラ笑うばかりで、幹事や他の面子は潰れている。

「あ、じゃあ、カードでお願いします」

天蓬がポケットを探り、金色のカードを渡した。

「はい、お預かりします」

「え、そんな、駄目ッスよ!天蓬さん!」

「まぁまぁ、僕ら闖入したんだし、ここは年長者立てておいて下さいよ」

「後で清算すりゃいいだろ、今これじゃ集金も出来ねえし」

「いーんですよぉ、誰が出すんでも今日悟浄さんは奢られる立場でしょ、堂々として下さい」

「いや、皆俺ダシにして呑むだけなんで祝いつっても…すいません」

ひとしきり、同じ方向の人間を振り分けてタクシーに押し込む騒ぎが済むと、

蓮実と悟浄と天蓬と三蔵が残った。

「あー空気おいしーい!一服したーい!」

「支離滅裂じゃねぇか」

「僕のでよければどうぞ」

「へぇー、アークロイヤル?珍しいんだ。あ、いい匂い」

「前はロングピースだったんですけど、最近あれ、タール弱いんですよ。

自販で売ってないのがね、ちょっとツライ」

暗がりで、ライターが瞬く。

「明日休みなのか?」

「ああ。三蔵出勤だろ?悪かったな遅くに…」

「いや呼んで貰って助かったーその上あれだが、ちょっとうちまでついて来てくれねぇか?

もう一人じゃ、あいつ手に負えねえんだがどうしてもうちまで連れてかねえと」

「合点。蓮実もあいつん家放り込まなきゃならねえし」

「…それと、」

言いかけて、三蔵は戸惑ったように言葉を濁した。

「何」

「ちょっと…嘘つくかもしれねえ。調子、合わせてくれるか?」

「ああもう、そういうの得意だし。わかんねぇときは笑ってっから」

タクシーが光の弧を靡かせて停まった。

車内で、天蓬は窓枠に肘をついて黙りこくっている。

眠り込んだままの蓮実を悟浄と三蔵がベッドに転がして戻ると、

三蔵のアパートの前まで、誰も口をきかなかった。



31-2 ベンディングマシーン(後)
すいません、また前後編に…!


030 通勤電車へ

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