014:ビデオショップ(後)
匂いは、葡萄に爪を立てたように、
不意に、瑞々しく、記憶をほとばしらせる。
女の顔は、あまり覚えない。
顔やようすは、すぐ、くるくる変わってしまうから。
この娘にしたって、髪は黒くなかったし、
まつげもこんなに重く塗っていたこともなかった。
ぴっちりしたTシャツばかり着ていて、
脱がすのに手間取ったのは確かなのに、
今はゆるいホールター。
紐一本で解けてしまう。
香りが変っていたら、気がつかなかったかもしれない。
…いや、中指と人差し指を、唇にあてて微笑う癖は、変っていない。
むきだしの肩に手を滑らせると、
効き過ぎのクーラーに冷えていたけれど、
抱きしめて眠ったまろやかな感触は、覚えがあった。
コトの前後で、女の子は、抱きしめられるのが好きだ、
というだけじゃなく。
独りで冷たいシーツでないと眠れない夜と、
腕の中に温もりがないと眠れない夜は、
不定期に交代する。
ひと恋しい夜に逢った女の子たちは、皆、
抱きしめて眠りたい位、
優しくて、柔かかった。
…最後に、そういう夜を過ごしたのはいつだっけ?
誰とだったっけ。
…俺、独りの部屋から、出なくなってきてるって?
無意識にさすっていた手が、
さりげなく外されて、両手に包み込まれる。
「悟浄の手は、やっぱりあったかいね」
「誰と比べてんの?」
「ふふ、イイ顔になったよ。浮気したくなっちゃうな。しない?」
「それって誰か怒る人が居るってことじゃん…勘弁してよ」
面倒は避けたい、のも、嘘ではないけれど。
この香りも、あどけない笑みも、柔かい手触りも、
まだ、甘い菓子のように惹かれるけれど。
ピンクの瓶からふりかけられる香りが、
かすかな、三蔵の居た痕跡を消してしまいそうで。
彼女と眠るのがこわかった。
もうとっくに飛んでいる幻のような匂いだけれど、
記憶にはしっかりと刻まれた。
数時間前に、腕に受け止めたときも、
仄かに感じたのを思い出す。
情けない笑みでホールドアップした悟浄と、
彼女の間に、ぬっと、たくましい腕が出る。
一面に彫られた、鮮やかなターコイズの火焔が目を射た。
「…ナニ、元彼?」
「ううん、そこまで深くないよ、ね、悟浄」
「あ、ああ」
「じゃーねえ」
肩を抱く腕越しにひらひらする手。
(…暇つぶしに、からかいやがって)
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