そのビルはあたりで一番高くて、屋上に上るといつも強い風が吹いている。

彼は耳の後にキスして、長い指を髪に通す。

「誰かきっと見てるぜ」
「嘘」

仰け反って、喉をさらすと、温かく柔らかなものが押し付けられる。
濡らされた皮膚は、唇が離れると、すぐに11月の風に体温を奪われる。
空いた手は、腰の上まで、裾をたくし上げていく。

「たまんねぇ脚」

撫で上げた手が、焦らすように内腿を降りていく。

「タダで見せんのはココまでな」

脚が掬い上げられ、部屋に持っていかれる。


彼が建てたおかしな部屋。

唇より、耳の方が、彼の唇をよく知っているかもしれない。
そう思いそうになる位、その唇は耳ばかり濡らしている。
舌がピアスをつついて、くるくると弄び、いつか彼の唾液に包まれた飾りは脱け落ちてしまう。
彼の枕のあたりには、きらきらした犯罪の痕跡がいくつも埋っていきそうな気がする。

あのビルの屋上から何が見えるのか知りたいと思っていた。
晴れた9月の朝、代休のぽっかりと虚ろな時間を持て余して、
ふらふらとあのビルの前に来た。
ざらざらのガラス戸の中は電気もついてない。

「入れば?」

びくっとした。

長い赤い髪を後で縛った男は、コンビニの袋をぶらぶらさせ、
人懐こい瞳で微笑いかけた。

「あの、ここの人?」
「まあね」

気がつくと背に、触れるか触れないかの距離で廻された腕。
薄暗い廊下でその温もりは、なんとなく安心できた。

煙草の匂いが染み付いたエレヴェーターがガタガタ上がっていく。
一番上のボタンは13。
でも目に入るのは1階と変わらない殺風景なリノリウムの床とそそけたドアの並ぶ廊下。

「後は階段なんだわ」

ギイと軋んで開く扉は歪んで、閉まっているときも端から、
切れ端のような光をこぼしている。

あちこち茶色に錆びた階段を上がる靴音がやけに響いて、
どきどきした。

打ちっぱなしのコンクリがただ広がる屋上は、
低い柵すらなくて、自殺したいならここが簡単だなあ、と思った。

街は一面に広がって、やけに小さくごちゃごちゃした箱の
一つ一つに人がひしめいて、
その数だけ生活があると思うと、
生温かい風に呼吸を攫われそうな胸苦しさなのに、
そこから動けない。

「落っこちないでくれよな」

振向くと顔に吹き被さってきた髪と格闘する私を、
彼はアイスキャンディを舐めながら、面白そうに見ていた。

やっと邪魔なしに、赤い切れ長の目と向かい合う。

にやりと微笑って、半ば溶けて角が丸くなった塊に、
わざと大げさに、しゃぶりつく。
舐めまわす。
唇を白くするクリームを繰り返し舌で辿る。
視線も、舌の動きも、ひどくnastyで、
でも、嫌な感じではない。
顔を赤らめたり怒って見せるのを期待しているのかなあ、
と、ぼんやり微笑いながら、見ていた。

最後のひと口を、棒から扱き取って呑み込むと、
彼は悪戯を見つかった男の子の顔をして、
空いた手を差し伸べた。

その日はまだ、残暑がきつくて、
コンクリートの床はもったりと熱気を含んでいて。
何かを厭という気力が私のどこにもなかった。

「名前、なんだっけ」

まだ訊かれてなかったけど。



手を引かれて回っていった、
給水タンクの陰に、ぽつんと、それはあった。

集合住宅なんかの工事現場で、事務所のように使われるプレハブ小屋。
屋上のもう一方の端から黒く伸びた線で繋がれているように見える。

「どうぞ、入んなよ」

かっと明るい外から入るとやけに暗い部屋に見えた。
波立つ青いビニールシートを踏んで、青いカバーのベッドに坐る。
ベッドといってもリンゴ箱を並べてマットレスを敷いただけの代物。
でも他に坐る場所はない。
熱気で腫れ上がったようなシートの上以外。

ちゃんがココの初めてのお客さんだ」

彼の頭はぶら下がった裸電球にすれすれの高さだ。

銀色の断熱バッグをジーッと開いて、緑のボトルを渡して寄越す。

透明なソーダが心地好く喉を降りていった。

「ひと口くんない?」

「どうぞ」

殆ど一気に残りを飲み干し、瓶の口を、やっぱりnastyに舐めた。

「なんか、甘いや」

床にコトリとボトルを置いて、隣に腰掛ける。

ウエストをなぞる指は、勝手で、その癖ひどく優しい感じがした。
覗き込む眼は人懐こい犬のようだ。

「ピンクで、濡れてて…すげぇ、甘そう、の唇」

ペリエに冷えた彼と私の舌が同じ温度に上昇していく。

「なんか、かけて」

「ラジオっきゃねえけど、いい?」

指と指を絡めたまま、
彼は足先でラジオ付きの時計を引寄せ、スイッチを入れた。
あ、InterFMだ。

「これでいっかな」
「うん」

日本語じゃない方がいい。
とっても好きだけど、
『日本全国の肉体関関係者各位に告ぐ!
淫らな男女関係は危険だ! 恋のルサンチマン』
なんて聞こえたら、腰が勝手に砕けてしまう。

「あ、笑った」

彼も、みそっ歯を覗かせて、いい顔で笑った。

「こーいう時笑える女の子ってダイスキよ、俺」



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…予想以上に長くなりましたので3回ほどの続き物と致します。
伊豆様キリリク「かっこいい悟浄ドリ」 
かっこいいって、何だ?という私の悩みを孕みつつ
何とかBDにあわせて一回目UP!

伊豆様こんな感じでよろしければお持ちください。(完結次第)