…ッ」

シーツも、もう冷たいところなんかなかった。

ベッドにもつれ込んだ途端、
いつもならふざけ合って落としていく服を引き剥がすように、裸にされた。
自分は、シャツだけ放り出すと、下は前を開けただけで、
少し、怒ってもいいような場合かと思ったけど。

攫われた。
霞んでしまいそうな眼の崖っぷちで、見えた悟浄の顔。
初めて、笑ってない、ふざけてない顔。
眉間が寄って、鋭く見つめる瞳が、揺れていた、その色に。

「あ…悟浄、やっ…」

そんなに、追い詰めないで。
言葉にならない哀願を、その日に限って、聞いてくれない、
身勝手なのに、…縋るような、指先が、
短く刻む呼吸遣いが、
痛い程いとおしくて、逆らえない。


「…ココ、無くなるよ」

まだ、半分曇った頭に、言ってることがしみこむのは少しかかった。

「…え?」

いつものように、終わった後に抱き寄せている腕が、
今日は痛い位しめつけていた。
顔を見せたくない、というように。

「前言ったダチ…管理人のジジイ。倒れた。
ココ上がって来て心臓にキタ、って俺も口裏合わせたから、
労災扱いで、心配ねえんだけど、
管理人は違う奴になるから、さ」

こんな違法建築はすぐ、撤去されてしまう。

「ココ、すげえ気に入ってたんだけどさ。
と…いっぱい、シタし」

カシャンと、何かが胸の中で、割れた。

シタ。
何よりもたくさん。…それは事実。
だけど…お喋りした、、一緒に眠った、
一つのアイスクリームを一さじずつかわるがわる食べたこともあったよ?

滲んできた涙を気付かれたくなくて、
悟浄の胸を押してシーツを脱け出した。

…?」
「寒くなっちゃった。…コーヒー飲みに行こうよ。
奢るからさ。ね?悟浄」

私は唇に力を込めて微笑い、悟浄の腕を引っ張った。
何か言いたげな顔で、でも、黙って、悟浄も上着を羽織った。

熱いコーヒーはやけにおいしくて、
夏は終わったんだと容赦なく刻み付けてくれた。
泣くもんか。
こわばった笑みで、一度も離さずに悟浄を見つめつづけた。
眼を逸らしたら、聞きたくない言葉を聞いてしまいそうで。
何度も唇を舐め、言葉を捜している風な悟浄に気付かない振りをして。

「じゃ、また」
手を振って、駆け出す。
つい昨日までは、そういって、また逢えることは、朝が来るのと同じ位、信じられたのに。
本当は実体がなかった、彼とのつながりを引きちぎるように、
胸が苦しくなるまで、走った。


朝が来て出勤して、夜が来て帰宅して。
何も変わらなかった日常が、こんなにからっぽだ。
それでも、習慣で保たれる暮らしの形が、かろうじて私を支えていた。

ぼんやりと、駅の長い下りのエスカレーターに乗る。
ターミナルでもないのに、3階分もの吹き抜けのコンコースを
のろのろと運ばれていく、人の群れに埋っていると、
ふと、気が緩んで、涙がこぼれそうになるから、きゅっと唇を引き締める。
今の自分の毎日は、こうやって機械的に運ばれているのと変わらない。
…ふと眼を上げると、ガラスの壁に映った、苦く微笑う、他人のような顔。
その後に、鮮やかに、紅い…

振り返って、考える間もなく伸ばした指先を、
掴まれた。
忘れられない、ごつごつして、勝手で、でも優しい感触。
触れた場所から感電するかと思った。
引っ張られて、よろけた瞬間、手は離れ、
私はかろうじてベルトにしがみついて、身体を支えた。

!」

びっしりと人が詰まった上りのエスカレーターの中に、
消えていく、紅い色。

肩にあった大きなザック。
この街に、もう悟浄はいなくなる。

じんじんと、指先を熱くした痛みは、心臓にまで刺さった。


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あー、終わらなかった…次回こそ終わりますから。