EEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEExit


Side:

「な、!こういう椅子、良くねぇ?」
悟浄の手は大きくて温かい。
「こーゆーの、窓際に置いてさぁ、コーヒーとか飲んでさ」
ふと離れると、いつもひらひらと私の手を探している。
…私の、かな。
誰かの、なのかも。

たまたま、傍にいるのが私。
それだけのことじゃないの?

手をつなぐのは私だって好き。
ふと、人が途切れた街中で、
二人きりのエレヴェーターで、
盗むように触れ合うキスも好き。

…いつも、それだけ。

言い出すのは必死だった。
会える時間を増やして、とは言わないから。
同じでいいから…もう少し、二人きりでいたい。

本当は、間にあるものを取り去って、
隙間なく皮膚を重ねて、呼吸も心音も溶け合わせたい。
好きだから。今が大事だから今そうしたい。

「…悪ィけど…そーゆーの、俺、やり過ぎたんだわ。
欲が尽きちゃってるっていうか?その気なんねぇの。
―こうしてて、楽しくねぇ?いっぱい喋って、色んなモン見てさ。
俺すっげー、大事にしてんの。だからいい加減にやって済ましたくねぇの」
楽しいけど…

ただ、ゆっくりと。
あなたの体温を感じて、
靭い腕の力に包まれて、
一瞬で離れないキスをするだけでいいのに。
それも望んだらいけないの?

悟浄は気付いてない。
悟浄は私の話を聞いてない。
自分が聞きたいような、
本の話とか、音楽の話とか、店の話、は聞いてるけど、
仕事。友達。悩み。
そういう私の現実には何一つ、耳を傾けてくれない。

2、3度話してみて判った。
私の現実という名の水は、高く塀を巡らせたあなたの心の周りの濠を、ただ徒に廻っていくだけ。
決してあなたの中には入っていかない。

悟浄の夢。
悟浄の好きなこと。
悟浄の仕事の話。
悟浄の友達の話。
一方的に浴びせ掛けられ続けて、
雨曝しの、壊れた瓶のように、
ただ零している私の心。
今悟浄が描く未来には私が入ってる。
でもそれは、悟浄の夢のパーツに過ぎない。
肉と血と悲しみの詰まった本ものの私じゃない。

判ってる…
誰も、あなたの話を聞かなかった。
普通なら母親の裾を捉えて話し続ける過程を今、
あなたは遅まきにやり直しているのだ。
台所で母親に纏わって、喋り立てる子供が、
母親の現実、夫の愚痴やら近所の噂やらに、貸す耳などない。

だけど、母親なら、父親がいるし、
私には紛らわせない寂しさしかない。

人の肌にくるまれるだけで、
ふわりと融けるのだけれど。
例えそれが曖昧な寂しさ同士が惹き合うだけでも。

この人も私のとりとめない言葉を、右から左に流しているだけ。
だけれど一度は耳を貸してくれる。
明日には忘れられても、今胸のつかえが降りて行く感覚は本物。

こうして紛らせば、
まだ暫くはあなたの前で微笑えるから。
裏切りとかそういうのと違う…
やり直す擬似母子ごっこが終わったら、あなたは私が要らなくなるでしょ?

大丈夫。
ちゃんと大人になれば、インタラクティヴに、
感情も、喜怒哀楽も、やりとりできるひとと逢えるから。
私は工事現場のプレハブ。
本ものの家ができれば、役目を終えて撤去されて行くモノ。
判ってるから。

「そんなに、自分を苛めることないですよ」
この指の下では、私は我慢せずに涙を流せる。
(悟浄は困って、怒って私を置いていくけど)
「もう一度」
優しい香りの首にしがみつく。
真っ白に灼いて。
痛みごと。
舌を絡め、混ざり合う汗に滑る指を結び合わせ、
苦しい程に衝き動かして、
夢のない眠りを頂戴。


Side:八戒

彼女独特の、稚くて軽い足どりは、
まだ、変らない。

でも、いつからだろう。
誰にも見られていない(と思っている)ときの
彼女の、斜めに流れ落ちる視線の痛ましさが。
悩み疲れたような、青みを増していく瞼が。
ためいきを、こらえるように、ゆるい拳を唇に当てるしぐさが。
不穏な胸騒ぎを引き起こす。

…他のこと(或いは男)に心を奪られて(とられて)いる女ほど、
悩ましく、心を惹く存在があるだろうか。

心を奪っている男の方は、彼女の変化など目に入れずに、
楽しげに、ただしたいように彼女を愛するだけだ。
不埒にも。

…一時、僕の腕に避難所を求めてくる、
は、いわば溺れかけの遭難者。
唇から息を吹き込み、毛布の代わりに僕の体温で包む。
悟浄の子供じみた韜晦と、自分の涙に冷え切った細い指を口に含む。
それはお菓子のように甘い。
「お薬を上げましょうね、
ゆっくりと、首に廻る腕を外す。
どこか触れていないと、また沈んでしまう、と見上げてくる
縋るような瞳がまた…たまらない。
こんなにも美味しいモノを、冷たくなるまで放って置くような輩に、
義理を立てる気などこれっぽっちもない。

のキスが、まだ、
あなたの好みの、ライチミントの香りだって、
気づいてもいないでしょう、悟浄?

柔らかく低い彼女の声は耳に快い。
中味など僕も聞いてはいないけれど、
悟浄のように、遮ったりしなければ良いのだ。
途切れ目に、いい匂いのする髪や
クリームのように指を沈める頬を撫でて、
「いいんですよ、我慢しなくて」
「そんなに、自分を苛めないで下さい」
「あなたは優し過ぎます」
そんな言葉を降りかけてあげればいい。
堪えていた涙を溢れさせて、彼女はしがみついてくる。

「もっと」
その言葉だけはちゃんと聞き逃さない。
僕は完璧な救助員だから。
あなたを蘇らせる、
夢のない眠りが訪れるまで、
あなたを衝き動かしてあげます。

Side:

「そういうのと違う、って、じゃあは何なら裏切りってぇの」
ハイライトがせわしなく短くなっていく。
「そんなにセックスしたかったんなら、言えばいいじゃん」

うなだれた儘、私はとりとめなく、
あなたが勧めた松本大洋も、くるりも、村上龍も、
わざと避けたなあ、と考えていた。
あなたを構成しているらしいそれらのものを知ってしまったら、
益々あなたが読み尽くせてしまう。

あなたの意を易々と迎えて、そして、自分の中があなたの匂いのモノで一杯になって、
あなたを失っても、あなたの匂いしかない自分の内側に、
ずたずたになるのが怖かったから。

「俺、傷つけるようなこと言っちゃったりしたくなかったんだよ。
二人でいるととめどなくなっちまうから!
そんだけ気ィ使ってたんだぜ…また泣くのかよ!」

二人きりだと、傷つけるような事言っちゃう間柄ってなんなの?
傷つけてもまた修復する、段々傷つけないようにわかってくる、
そうやって人は近づいていくのに、いつまでも突き放していたのは、あなたじゃないの?

今度の前の喧嘩の後、眠れなかったという言葉に、やっぱり私を愛してたのかとふらついた。
でもそうじゃないのが、今は判る。
逢わずにいた間、もう別れを覚悟して、私がどれだけあなたを脱ぎ捨てたか、
ちっとも気付かないあなたは、私を見ていない…
見ているのは自分。
愛してるのは自分。…多分。あなたが唯一愛し方を知っているひと。

作ってくれたネックレスをしていないことも、
お揃いのストラップを捨てたことも、
指環も嵌めていないことも、
もう目に入ってない。
私の携帯のアドレスからあなたが消えて一月経った。

ただ自分の、生活のパーツが一つ、不具合になったのを怒っていた、
それだけのことだったんだね。

「ま、もういいっしょ、俺なしでも、八戒がいるんだしさ」
…彼だけを見るようになったら、あの人は笑いながら、逃げるだろう。
避難所のポジションなら喜んでやってくれた、
重たくはないから。
伝票を掴んで起って行く後姿は、新しい痛みはもたらさない。
苦痛も慣れると麻痺してくるらしい。
そうしてもう掻き乱される期待もない孤独の中で、
私は彼のメールで一杯の携帯を捨てる。

Fin.