初音

「済まないけど…この声じゃあ、土地(ところ)の名折れって、吉ちゃん、お断りしておくれな」

「拝まれたって姐さん…俺だって丁稚の使いじゃあるめえし」

「だれもぶっつり断れなんて言やしないよ。
いい音の鶯がここにもそこにも、旦那に一声お聴かせしたいって
下の枝で待っておりますって」

「なぁるほど」

「お京ちゃんが割り込めるようならあの娘(こ)にあたしの頼みって言って、ね?」

「お京ちゃんなら逸らしっこねえ、じゃ、ひとっ走りお湯に行く前に捕まえて…」

「頼んだよ」


弱い咳がまた続いて聞こえる。

「おすみちゃんだっけ、姐さんの家(とこ)の女中(こ)居ねえんでしょ?
茶屋(うち)の女中(こども)、一人よこしやしょうか、女手があった方が…」

「お気持ちだけ。もう、今日は寝む(やすむ)だけなんだよ」

「へえ、お大事に…」

格子戸のリンが鳴って、駒下駄の音が遠ざかっていく。


二階から首を出した悟浄は、振り返り振り返りして行く若い衆に睨まれ、
舌を出して引っ込んだ。


「敷布、替えたから」

「あら嬉しい」

「洗っとこうか?」

「おすみが気兼ねするから…」

肩から羽織を滑り落として、藤紫に青く柳を抜いた襦袢の肩に、洗い髪がこぼれる。

土地の誇りのこの女(ひと)の唄は、大事な座敷には欠かせない、
と師走から新春(はる)には文字通り、
席の温まる暇もなく引っ張りだこだった。

暮(くれ)からの風邪気も姐さんの初音がなくては始まらないと、
一軒に押し切られれば、他も断っては義理が立たない。

松の内が済んだら休んで下さいよと揃えた口も、
七日過ぎて宴会があればあっさり翻るのを見越して、
は、もう鬢も髷も重たくて、と丈なす緑を洗い上げた。

そうして本物の風邪を背負い込んでやっと、
一晩自分の布団で寝られる始末。

「夜に蒲団を剥いで、ってのはもう聞きませんぜ、
暖めて(あっためて)くれる奴が居やがるんだから…」

「おやおや、生意気(なま)を言うじゃあないの」

は笑って、駄賃のおひねりで薬を届けに来た手代の手の甲を打った(ぶった)。


「林檎、擂ろうか」

「ん…」

枕に頭をつけるかつけないか、というところでもう、
の瞼は半ば、下りている。

悟浄は上げかけた腰を落とし、
仄かに滲んだ汗を新しい手拭で拭き取ってやった。

お納戸の蒲団にかかった真っ白な衿から僅かに覗く、
蒼みがかるほど白い襟足も、吸い付くような湿り気を見せている。

(…今日はいけねえって)

剥がすように目を逸らすと、替えた敷布を抱え、
静かに階下(した)に降りた。







さて始まりました二階座敷シリーズ。
次回は悟浄がおでん買って来ます。