Je 'aime... moi non plus
がらんとした部屋には、ボックスマットがひとつ。
灰皿代りらしい、コーラの空缶。
カーテンすらなかった。
僕はの住む場所を知っていた。
街外れの、どぎつい青で塗られたビル。
小さな姿が真っ暗な入り口に吸い込まれ、
5階の角に灯りが点くまで、
何度となく、僕は道の反対側に立って見ていた。
いつかその階段を上って、
ドアをノックすれば、
笑顔のが迎えてくれる。
何の根拠もない希望は願望、
それとも、妄想?
握り締めれば砂のように崩れていくものに、
いつからか、縋っていた。
手を引いて、そこから連れ出す。
もっとふさわしい、
美しい場所へ。
ところどころ、汚点のあるマットレスは、
スプリングがごつごつと手に当る。
手より胸が痛かった。
こんなものの上で、
あんな華奢な体が、休まったわけがない。
やわらかなベッドに埋もれて。
あの細い髪が長くなって
ふわりと広がるさまを見たかった。
眉の間に青く、刷いた翳りもなくなった、
あどけない寝顔を、
いつまでも見つめていたかった。
涙は、指でさえ、無骨すぎるから、
唇で拭いたかった。
頬を傷める風から庇いたかった。
一方通行の願望はただのエゴの塊。
君の頬を赤く腫らした熱が、
自分の手にじんじんと響いて。
静かに僕を見上げたままの瞳は、
無関心な寛容だけを浮かべて。
方向音痴の君は、迷わずに、
いつでも出ていけるように、
街を横切って彼方へ続く道沿いに
住んでいたのだろうか。
大きな影が、マットレスの前に
座りこんだ僕の上にさす。
嗅ぎ慣れた匂いと、
触れる前から熱を伝える腕。
この腕の中でだけは泣きたくなかった。
なかったのに。
「僕…はっ…」
彼女には必要じゃなかった。
それだけのこと。
多分始めからずっとはっきりしていたのに、
僕が見ようとしなかっただけだ。
「俺じゃ、だめ?」
肋骨がきしむ程強く、締め付けられる。
肩に顎が、頬に頬が、脚に脚が、
隙間を恐れるように押し付けられる。
「俺は、八戒が要る」
支えきれなくなって、マットに倒れ込む。
悟浄の腕と、スプリングが、ごりごりと
僕の空っぽの胸を押し潰して。
逃げ続ける僕を、それでも殺してくれない優しさが、
怖かったのだと教える。
Fin.