愛する神の歌

10


「クレヨンと画用紙、買ってきます。…ついでに夕食の買物も」

電話が切れた後、のしかかる重みを振り払うように、八戒は出て行った。

俺は何となくがいる部屋を覗いた。

少し眉間に皺を寄せて、重ねた手に頬を乗せて眠っている。

額の髪を払ってやって、頭を撫でてみた。

ちゃんは、本当は、どんな娘なんだ?俺達に教えてよ」

いつも真面目な顔をしているのか、笑っているのか。

どんな音楽が好きで、どんな服が好みなのか。

コーヒーにミルクと砂糖を入れるのか。

夜更かし好きなのか、眠たがりなのか。

ひとを形作るのはそういうほんの些細なパーツの積み重ねなのだ、と気付く。

ふいに、が目を開けた。長い睫が、ぱちりと音を立てそうに。

じっと、俺を見上げる。

今日は目を逸らさない。

俺の方が、動悸が高まってくる。

ちゃん、起きられるか?もうすぐ、晩飯だから」

は目をこすって、上掛けの中から出てきた。

いつもなら、八戒が先回りして、助け起して立たせていたが、…自分で出来るんだ。

それに、俺の言うことが通じている。

…先生の言うことは、実はこんな易しいことだったんだろうか?


居間に連れていって、ソファに座らせると、八戒が帰ってきた。

の方を見ようとは、しなかった。無理に笑うか、そうしかできないのだろう。

「出して上げて下さい。僕は夕食の支度しますから」

八戒が渡した紙袋から、クレヨンと画用紙を出して、

披げて膝に置いてやると、は不思議そうに、俺を見、八戒が入っていった台所の方も見た。

ちゃんのだから、好きに使いな。何でもいいから描いてみせて?」

かすかに、嬉しそうに見えたのは、俺がそう見たいからだろうか?

はソファから滑り降りて、床にぺたんと座ると、クレヨンを不器用に掴み、何か描き始めた。

あまり息を詰めて見ていても落ち着かないだろうと、

俺は何気ない風に台所に入った。

「何か描いてるぜ」

ごとごと煮えている鍋の音に紛らせて、囁く。

「よかった」

八戒はほっとしたように微笑った。そういう顔をしてやれればいいんだろうな…

目玉焼きののっかったハンバーグにポテトサラダ、蕪とベーコンのスープにロールパン。

俺が画用紙から引っ張り起こして、手を洗わせ、テーブルに座らせ、

「頂きます」という代わりに手をあわせさせると、

は自分でスプーンを握り、せっせと食べ始めた。

最近は何とか自分で食べるようになって来ていたが、

よほど、早く済ませてまた描きたいらしい。

皿が空になり、ぎごちなく手をあわせると(ご馳走様、と俺達がやるのを真似ているらしい)

自分で椅子を降りて、また画用紙に取り付いた。

「見ててみろよ、俺が皿、洗うから」

「お仕事、いいんですか?」

「今晩はもう時間が半端だからいい」

また台所に逃げ込もうとした八戒を居間に居残らせた。

ああやって熱中しているのを見ているうちに、何か解れる糸口が見えるかもしれないし、

逃げ回っていちゃいつまでも埒はあかないだろう。

皿を洗い終えて戻ってみると、八戒はテーブルに新聞を広げて船を漕ぎ、

で、ソファに凭れてすやすや眠っていた。

「あぁもう、風邪引くぜ」

をベッドに寝かせ、上掛けをかけてやると、猫のように丸まって眠り込んだ。

「八戒、先、風呂入れよ」

「…あれ? は」

「寝ちまったから、ベッド入れた。風呂は明日入れればいいだろ?」

俺は散らばったクレヨンを適当に箱に戻し、画用紙帖と一緒にテーブルに載せた。

描いてあるものが、目に入る。

「うっわ、何これ」

赤いホウキみたいな物体に、手足らしいものがついている。

「これ、もしかして俺?…この男前の俺様?」

ちょっと悲しいぞ、こりゃ。あの娘には俺、こう見えるわけ?

八戒も覗き込んで、失笑した。

「でも…ちゃんと、この髪の立ってるとこ、描いてあるじゃないですか」

もう一枚、描いてあるらしいのをめくってみる。

「また、こりゃ…とにかく、あの娘画才ないってのは判ったじゃん?」

本当にヘタクソで、眼鏡と髪型で漸く、八戒か?という代物。

堪え切れず、俺は吹き出した。

「ほんと…にね…」

八戒の肩も揺れていた。

―え?

バタッ。バタバタ。

画用紙の上に落ちる滴が、紙をでこぼこに膨らます。

顔を押さえた手の甲を引く筋。

「…何で?」