愛する神の歌

12


言葉が途切れた途端、八戒の手が、の肩から滑り落ちる。

糸が切れた人形のように、八戒は崩折れ、シーツに顔を埋めてしまった。

痩せた背が大きく上下する。

が、ぎごちなく、八戒の頭に手を載せた。

「はっかい…なかないで。いいこだから」

八戒の名を呼んだ…自分から、口を利いた。

堰は切られたのだ。

八戒も、涙まみれの顔を上げて、を振り仰いだ。

「なかないで」

おずおずと伸ばされた手が、八戒の顔を拭う。

八戒はその手にそっと、自分の手を重ねて、目を閉じた。

「ごのうせんせいが…はっかいなの?でも、はっかい…が…」

は、空いた方の手で、自分の体を抱きしめるようにして、身体を揺らせていた。

途方にくれたような表情。

堰を切った後、溢れ出して来ているだろう、混乱を、どう治めていいのか、俺達はわからない。

「俺、あの先生頼むわ」

八戒は身を起し、ベッドに座ると、を抱きしめた。

「怖くないからね、大丈夫、僕と一緒に、先生とお話してちゃんと落ち着かせて貰いましょうね」



一時間と経たない間に、うちのリビングに、王医師、テラピストの彼が入って来た。

「今日は、では、八戒さんと一緒に話しましょう」

俺が引寄せた椅子にかけると、彼は、いつもの深い水のような静かな笑みを、に向けた。

さん、一つずつ、整理してみよう。悟能先生は、さんの、何だったのかな」

は縋るように、彼を見、唇を動かしたが、中々、声にならなかった。

「ごのうせんせいは…いてもいいっていってくれたの。いいこにしてたら…おきょうしつに…

わたし、おねえちゃんといっしょに、そこ、すごく、はいってみたかった…うれしかった…

でも…つぎのひ…いったら…おねえちゃんのうち…まっかで…

おばあちゃんも…うごかなくなって…つないでたてがいたくて…かたくなって…

とうさんもかあさんも…まっかなへやで…うごかなくて…

それから…むらで…ごのうせんせいがした、って…でも…そんなの…なんで…」

段々小さくなった声が、途切れて、俯いてしまったは、

そのまま、溶け崩れてしまいそうに脆く見えた。

「何故だったか、話してあげて下さい」

彼の見えない目は、の横で肩を強張らせた八戒に向けられた。

、僕には大切な人がいました。ずっと探していてやっと見つけた、何よりも大切な人でした。

あなたに会った次の日、あの村に、百眼魔王という怪物の手下が来て、

村の若い娘がいる家の人たちが自分たちの娘を連れていかせないために、

彼女を差し出したんです。

僕が教室に行っていて留守の間に。

かあっとして、傍にあった鉈を掴んだのははっきり覚えてるんですけど、

次に我に返ったとき、周りは死体しかなくて、僕の手は血まみれでした。

それが誰だったか、…その人達が皆、彼女のことに関わっていたのかなんて、

…今まで、に会うまで、考えたことなかったです」

自分の名前が出て、は、びくりと身を震わせた。

「ただ、僕が怒りをぶつける対象でしかなかった。人間だとも思ってなかった。

それから、僕は彼女を助けに行ったけれど…もう遅くて…彼女は…

僕の眼の前で、自分の手で…」

八戒はしばらく、黙り込んで、また唐突に言葉を継いだ。

「血っていうのは浴びたときは温かいんです。でも時間がたつと、

がびがびに固まって、その下の皮膚がすごく冷たくなる。

返り血を浴びながらそう感じたのはよく覚えてます。

百眼魔王の城で、最後に出てきた魔王の息子に、腹を切り裂かれて、

僕は一度、逃げました。

彼女を僕の手で葬るまでは死ねなかったから。

腹が切られてると、…どんどん失血してたのもあるんでしょうけど、

目の前が段々、電池が切れていくときの懐中電灯に照らされてくみたいに、

薄暗くなってきて、息が出来なくなっていくんです。

雨の道で、もう歩けなくなって倒れたときは、死んでしまったら彼女に会えるんだから、

もういいや、っていう気しかなかった…でも、悟浄が助けてくれて、

僕は生き延びて、罪も赦されて、新しい名前を貰いました。

だから、僕は今、八戒、なんです」

八戒は向き直り、の手を取って、握り締めた。

「僕が殺した人達が、

それぞれ、のように、残して死ねない人がいる、生活がある人間だって、

自分がそれを奪ったんだってことを、に会うまで、僕は…考えもしませんでした。

彼女を死なせて、自分が生き延びてること、それしか罪だと思ってなかった。

…僕は、あなたに会うために生き延びてきたのかもしれない。

…自分がしたことが、なんだったのか、知るために。

僕の命位で、が味わった苦しみを償えるなんて思わないけど…

でも、がそうしたかったら、殺していいですよ」

は、手を八戒に預けたまま、ゆっくりと顔を上げた。

「ころしたら…もとにもどるの?なんにもなかったことになるの?」