愛する神の歌
14:Epilogue
「や。ぴーまん、きらーい」
「好き嫌い、しないの。食べてごらん。
食べないと、ほっぺの色がなくなっちゃうのよ?」
「やーだ」
「お父ちゃまも、め!って言いますよ」
「うーん、昔、お母ちゃまも、ほうれん草見るといやいや、
ってしてたっけ」
「香花、ほーれんそはへーきだもん!」
得意そうに、香花は子供椅子を滑り降り、
ぱたぱたと食卓から逃げ出して行った。
「…香花の前であんなこと、言うなんて」
唇を尖らせた顔はさっきの、香花とそっくりだ、って言ったら、
ますますご機嫌を損ねそうだ。
「しつけはお父ちゃまだってちゃんと協力してくれないと…」
いっぱしの母親になった君、
いくらか甘過ぎる父親の僕。
幸せはこんなにも当り前の日々の中に充ちている。
* * * * *
「、おいで」
シャンプーと石鹸と洗いたてのパジャマの匂い。
コットンのパジャマに包まれた、腕の中で弾むやわらかなボール。
始めは、脆い花を抱いて眠るような気持ちだった。
二人とも、途切れがちな浅い眠りを繋いで。
それでも少しずつ、本当に見えない程ゆっくりと、近づいていった。
は体温を僕に預け、僕は彼女の髪に、彼女は僕の胸に、唇を触れさせて、
同じ石鹸の匂いの下の、お互いの匂いに馴染んで眠れるようになって…
ある夜、後からベッドに入った僕の腕に滑り込んだのは、
…何も身に着けていない、だった。
「…?」
首に鼻を押し付けて、の指が僕のパジャマのボタンを外していく。
隔てるもののない皮膚が、触れ合った。
「このほうが、きもちいい」
見上げる大きな瞳は、迷わない輝きで僕の躊躇を押し流す。
「こわくない。
…ここにいるの、八戒だから。他のだれでもないから」
かなんのときも、最後の扉を開けたのは、彼女だった…
もう、傷つく前の日々には戻れないのは判っていた。
も、僕も。
切り売りさせられた身体の記憶が痛む限り、触れられなくてもいいと思っていた。
それでも、すこやかなか自然の声に従う勇気を、娘たちはいつも、持っているのだ。
いのちを繋げていく力を授かっているから。
* * * * *
白いタオルに包まれた香花は、ぱっちりと目をあけて、僕を見た。
(見えてはいなかった筈だけれど)
僕と同じ、焦茶色の髪。 と同じ、褐色の瞳。
会ったこともない、名前も知らない神々の赦しを感じ、
僕は、ありったけの感謝を捧げた。
血塗れの僕の手が焼け爛れさせた、僕らの命さえ、
時は癒し、また、新しく芽ぐむ力を与える、と
腕の中の小さな存在は、この上なくはっきりと、伝えてくれた。
* * * * *
僕らの寝室の隅に丸まっている小さな姿の前にしゃがみ込む。
「寝ちゃってる」
「段々、食べられるようになるよ」
「そうね。あなたもとっても、辛抱強かった」
抱き上げた、あどけない重みと、肩にかかるやわらかな重み。
光と影のように、罪の痛みは失われずに、幸福を縁取っている。
けれどそれが、現実の証。
楽園を追放された僕らの世界では、痛みなき喜びは、夢に過ぎない。
いつのまにか、横たわる僕を、君が見守るようになっている。
「夢じゃないね」
「夢は、もう、終わったの」
小さなキス、そして僕は、朝を恐れない眠りにつく。
Fin.
ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。I vU all!