愛する神の歌




「ご覧の通り、並みの花魁の客あしらいは出来ませんがね…

あの娘は、一度試そうって客が引きも切りませんので。

評判が立つにつれて、廓の客が増える一方なんでさ。

他の妓楼(みせ)にしたって、

掟がどうのって煩いことも言やあしません。

あの娘が掴まらなくたって、逸った男は

素通りってこたあねえからね。


その上、一度取った客とは二度と出来ねぇ。

どういうあれで覚えがあるのかさっぱり、

あたしらにも判りませんのですが…

裏ぁ返したお客さんが無理矢理登楼っても、

癲癇みたいに引きつけちまって」


厚い唇がねっとりと、苦い笑いに曲った。

「いかせると、君影草の香がするってぇ噂まで立ってまさあ」

「…きみかげそう?」

「鈴蘭の花の匂いですよ」


思わず、彼女を顧みる。

無造作に結ばれただけの髪が散りかかる細い首筋。

あの喉が、腕の中で、血のいろを透かせて、

甘い花の香りが広がるさま…

喉が、ひりついた。

目の前の男が、察しよく腰を上げようとしている。


「悟能せんせい」


あの消えそうな声が、我に返らせた。

水が一滴、草の葉に落ちるような、頼りない響きが…

続いて、ことりと、微かな音がした。

彼女は横ざまに倒れて、眠りこんでいた。

抱き起こしても、目は醒めなかった。

薄く開いた唇の、やや不揃いな歯並びが、

…また、背筋をぞくりとさせる。


次の間にお決まりの、紅い蒲団。

…不幸な生まれつきで、この(きりょう)なら、

この商売に沈むか、のたれ死ぬか。

…判ってはいる。

俺は頼りない体を横たえると、襖を閉めた。


「…お客さん?」

「『悟能せんせい』…ってのは?」

「D-町のあなたのが、良くご存知でしょうに。

斜陽殿の偉い坊さんが捕えて処刑(しおき)にかけたってえ、

妖怪の人殺しに違えねえ」

男は上げかけた腰をまた落ち着けた。



「…あの娘は、そいつが皆殺しにした村の川向こうの出なんですよ。

その村に親類がいて、よく行き来してたらしいんですがね、

百眼魔王の手下がそいつの女を連れてった日、

偶々あの娘は祖母さま(ばあさま)と家に居た。

だが、用事でそこに行ってた両親(ふたおや)は

巻き添えで殺されちまったんでさ。

帰って来ねえから、見に来た祖母さまは、

血まみれの息子夫婦を見て、これも悲しいわ、驚いたわで、

心の臓が停まっちまった。


6歳(むっつ)やそこらのあの娘は、死んだ祖母さまに手を掴まれたまんま、

血の海で倒れてたんだそうで…

それまでは、普通の子供で口も利けば、笑いもしたらしいですがね。

それからあんなざまになっちまった。

警吏が家のあった所に連れて帰っても、身寄り頼りもねえ子供だ、

そのうち記憶(おぼえ)が薄くなれば元に戻るんじゃねえかと

4、5年は近所の年寄りが育ててくれたものの、

それが死んだら引き受け手もなく、売られて来たって訳で。

…うちでも渋ったんですが、

こういう事情で、元々足りねえ訳でもないから、

売色(つとめ)はできるって安く押し付けられましてね…」

「…11かそこらで、客取らせたのか、ひでえな」

「女の標(しるし)が出たらって掟は違えてませんや。

まぁ、…誰が教えたんだか、怨みなんて気持ちがあるのかは判らねえんですが…

あの一言だけ、ごく偶に口にするんでさ。…哀れなもんで」

体の切り売りに関わる人間特有の、

鈍い諦めに塗り込められた男の顔が懐かしいような人らしさをちらりと、見せた。

「そりゃ、こんな遊郭(とこ)に居る女はどれも、

何やかや、事情(わけ)は抱えちゃいますがねぇ…」

「浮かび上がりようもねえ娘だって、あの娘ばかりじゃねえ、って?」

泥沼から、足を洗えない愚かな女もいくらでも、いる...

に、しても、年季(ねん)が明ければ、ここを出て生きることも、

優しい男に会って請け出される希望もある。


…だが、あの娘は。

遊郭(ここ)で貪り尽くされて、若さと美しさを失えば、

道端で弄ばれ、いつか野に果てるしか無い。

「それだけの評判じゃあ、身請けってのも…」

「ああ、主は吹っかけ放題ですよ…といっても、

近頃は、二度は出来ねえって噂も固まっちまったから、

言い出す物好きもいやしませんがね」