Adeste Fideles は真っ先に、パネル式のオイルヒーターのスイッチを入れた。
この部屋も、ドアにささやかな柊のリースがかかっている。
「ごめんね、このストーブ火事の心配なくていいんだけど、あったまるの遅いんだ」
「俺、平気だけど…」
ドレス一枚のの方が、寒そうだ。
は靴を振り捨てると、ベッドにもぐりこんだ。
「お客さん…えっと、悟空さんも、コート脱いでおいでよ、くっついてると寒くないよ」
「あ、うん、そうだね」
手袋を突っ込もうとしたポケットで、かさりと音がした。
「あの…今日、クリスマス、だから」
銀のリボンの合間に、淡いいろのボンボンが透けて見える透明な小箱。
「うわあ…ほんとに貰っていいの?ありがとう」
はそっと、小箱を掌に受けた。
「きれい…一杯眺めてから食べるね」
白いシーツを羽織ったまま、頬をピンクに染めて、小箱をささげ持つは、
枕元に飾ってあるカードの天使のように見えた。
「うれしいな、やっぱり、今日は、親のない子もうれしい日なんだね」
「…そういう日だっけ?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
漸く辿りついた、雪の散らつく街は、きらきらする飾りやネオンだらけだった。
「クリスマス…って?」
「俺達には関係ねえ」
「そうですね」
三蔵の台詞はいつもと同じだ。
八戒の、ぶっきらぼうな返事の方が、悟空の口を噤ませた。
「外出るけど、来るか?」
悟浄は部屋に入ってくるなり、尋ねた。
「うん。じゃ、三蔵に…」
「断っといたぜ。お前が行きたいなら連れてくって」
「…機嫌、悪くねえ?三蔵…と八戒」
「三蔵は煩がってるだけでいつもとそう変わんねえだろ。
八戒は…あいつもそういう時もあんだわ」
修道会の孤児院育ちの八戒。
(季節的な慈善って甘ったるくてね。吐きそうでしたよ)
それきり話そうとしなかった。
そのことを伝えても仕方ない。
「ま、俺らまで辛気くさくなってたってしょうがねえっしょ?
この街はきっと優しい女の子がいるぜ。
悟浄様の嗅覚、信用しな」
大きな通りに面したカフェは、飾り立てた窓からも、
音楽、賑やかな声、温かそうな灯が溢れ流れていた。
「ん、いい感じ…と、ちょい待ってな」
悟浄は隣の、閉まりかけていたお菓子屋に飛び込み、
小さな包みを二つ持って来た。
「もし、ここで仲良くなった娘(こ)がいたら、『クリスマスだから』って何気なーく、
渡してやんな。二人になったときな」
「なんで?」
「イベントにそういう気遣いが出来るってのがぐっとくるのよ、女の子ってのはさ。
じゃ、行くとしますか」
悟浄が押し開けた扉から、どっと、温気と、甘い香りが押し寄せた。
林檎や栗が焼ける匂い、菓子の匂い、スパイスと、熟れた果物のような酒の香り…
「グリュー・ワイン二つ」
「はいよ、お客さん、いい鼻してるね、今日は飛び切りの樽を開けてるよ!」
威勢のいい給仕の胸にも、赤いリボンを結んだ緑の枝が留めてある。
「熱いから、気をつけなよ」
シナモンやクローヴ、アニス、レモンを入れて煮立てたワインは、
焦げるように喉をとおり、じわりと体の中に灯をともすようだ。
「私たちも、一杯頂いていいかしら?」
緑のドレスに、とろけるような茶色の眼の娘が、悟浄に微笑みかけていた。
そのうしろで、人懐こく悟空の眼を捉えたのが、だった。
悪戯っぽく囁き合う悟浄と、もう一人の娘がワインを飲み干すと、
「じゃ、お前はそっちの娘と、な。明日、朝ここで精算ってことで」
「Merry Christmas」
腕を絡ませて、二人はあっという間にごった返す店の奥に消えていく。
悟空は慌てて、を見返った。
「あたしの部屋、来る?」
「…うん」
カフェの奥には、重いブロケードのカーテンで隠されたドアがあり、
階段を上っていくと、沢山のドアが並ぶ二階になっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「こないだ来たお客さんが教えてくれたの」
促されるまま、悟空もコートと靴を脱いで、広くもないベッドに入っていた。
柔らかいの髪が頬に触れ、蜜柑の花のような香りが漂ってくる。
ワインはまだ温かく体を巡り、悟空は自然に冷たい、
まるい肩を抱いていた。
「12月25日に生まれたって言われる人は父親がなかったんだって。
でもどんな子供も生まれて来たことは祝福されるべきだって、
その子が生まれたところに遠くからプレゼントを持ってきた人たちがいたから、
そのことを忘れないように、皆、Christmasはプレゼントを贈り合うんだって」
「そっか。俺も、親っていないんだ」
「あたしも、顔、知らないの」
ふと、目を伏せて、呟いたが、ひどく身近で、いとおしい存在に変わった。
明日になれば、もう会うこともない。
でも今はありったけ優しくし合って、この夜を埋めたい。
悟空はの肩を引き寄せ、冷たい指先の一本ずつに、そっと唇をあてた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あたしからも何か、プレゼント、上げたいな…あ、そうだ」
すっかり暖まった部屋の中で、オイルヒーターのぼんやりした輝きが、
の瞳に照っている。
「昨日のお客さんがくれたんだけど、よかったら、貰って」
深紅の、吸い付くようなスウェードのカバーをかけた、薄い本。
「こんなの…大事なもんなんじゃねぇの?」
「でも、あたし、字、読めないから。持っててももったいないし」
は鼻の下をこすって、いたずらっ子のように笑った。
「本だって、読んでもらえる人のとこのがいいと思うんだよね」
「…その人…知らなかったんだよな?」
「うん、でも、そう言ったら、きっと気まずいでしょ。
読めないけど、あたしにくれたいっていう気持ちは、
ちゃんと受け取れたって思うの。
…どうしたの?あたし、何か悪いこと、いっちゃった?」
君にはどうして、そんなに世界が優しく映るんだろう?
おずおずと頬を撫でるの手を見て、自分が泣いているのがわかった。
涙が、柔らかいものに吸い込まれていく。
温かいの胸が、悟空の頭を抱きしめていた。
「泣いていいよ、男のひとだって、泣きたいときあるよね」
「、は…泣きたいとき、どこで泣くんだ?」
「あたし、泣かないよ。だって皆優しいもの。あなたも」
はそっと、悟空の頭にキスして、泣きじゃくる背中を撫でていた。
「Merry Christmas、悟空」
Fin.