036:きょうだい

「ただいま…?」

リビングに入った途端に、イヤな汗が背中を伝った。

姉貴が腕組みして、ソファに陣取っている。

眉間は名刺が立てられそうな皺が寄っている。

「壊れたわ」

「…っ!」

「母さん、昨日から旅行でしょ」

「…だっけ?あ、同窓会か」

「母さん居ると、努めてまともにしてるじゃない。一気に反動がきた」

俺らの間で省略されている主語は、つまり我家の長男のことだ。

俺は擦り足でドアに近づいた。

「おっと逃げられると思ってんの?」

襟首を掴まえられる。

「お姉様を1人残して逃げようなんて子に育てた覚えはないけど」

俺はあなたに育てられてません!

「姉さんは君らのゴハンを作ります。降りて食べられる程度まで何とかしてくるように」

襟首をずるずる引きずられて、

俺は今朝うっかりお気に入りのシュープリームのシャツを着てきたことから

このうちの末っ子に生まれたことまでを後悔した。

「兄貴、入るよ」

…静かじゃん。

そっとドアを開けると、ベッドに突っ伏してる。

寝てんのか?

横まで行くと、いきなりキロンと、でかい目で見上げた。

昔ピアノの上にあった、体を起こすとキロンと眼を開けるフランス人形に似てるなあ、といつも、思う。

「裕太…」

「ただいま」

「裕太裕太裕太ーーっ!!!」

どんばたんゴンッ!

多分5秒しないうちに、

@跳ね起きて
A俺の首っ玉にかじりつき
B床に押し倒し(俺の頭は床に激突)

…クラクラしている俺をさらに酸欠で殺しそうにしがみついている。

「ぐ、ぐるじッ…

「裕太ってば僕、兎になっちゃった!」

「…息が…」

「兎ってさ、淋しいと死んじゃうんだよ!僕こんなに好きな人がいるのに、

ちゅーもずいぶんしてないしぎゅっともしてない!

死にそう!したいしたいちゅーしたいぎゅってしたい、やらないと死にそう!」

その前に、俺、死ぬ…

ちょっと花畑が見えかけたとき、すうっと、酸素が胸に入った。

甘い。空気は甘い。

さらさらの髪が耳に当って、腕の力がもう、緩んでいた。

「…はあ…」

「、んだよ、もう…」

「言えないんだ。本人にはさ。我慢して溜めてたら、ちょっと…キタ」

よっ、と弾みをつけて起き上がる。

伸ばした手に掴まって俺も身を起こす。

そのまま、俺の体は兄貴の腕に納まった。

「ちょっとだけ、こうさせて」

「…うん」段々重みをかけてくる兄貴の体。

「あったかくて気持いい。くっついてると、落着くの、裕太だけだ」

「あいつは違うの?」

「ドキドキするよ。何だか、ふわっと体が浮くみたいになる…

英二は少し重力から解放されてて、抱き合うと僕にもその作用が働くのかと思いそうになる」

兄貴は軽く笑って、少し力を込めて俺を抱きしめ、

するりと脱け出して階段を降りていった。

「治った?」

「うん、特効薬が来たから」

暢気な声が聞こえてくる。

溜息をついて降りていく俺をにやりと見上げる年上の悪魔2人。

やっぱり、このうちの末っ子になんか生まれるもんじゃない。

Fin.