025-2 のどあめ(後)
激しい痛みを堪えているかのように、尖らせた肩の間で俯いて、
きつく、三蔵の手を握る悟浄の手は、ひどく冷たかった。
「引き返すか?」
「…今、言わねえと、ずっと言えねえ気がする。
兄貴と、何にもなかったみたいに、喋って…
でもそれじゃ嘘になる。こんな気持ちぶつけないで抱えたまんまじゃ、
腐って俺と兄貴汚してく、その方がいやだ」
漸く、悟浄の指が緩んだ。
「ごめん、痛かったっしょ?」
今度は、柔らかく包まれた。
「三蔵が、人に触られるの嫌いなの、判ってんだ、ごめんな。
俺、逆で、人が傍に居ると触れたくなるんだ、
人の体温ですげぇ安心する、今、やっぱ、怖ぇから、どうしても…」
「判ってる。今はそうしてていい」
バーの名のネオンは点っているが、中は明りが無かった。
「休みじゃねえのか?」
「兄貴、ここの裏住んでるから」
悟浄は、一瞬力をこめた手をゆっくり離して、タクシーを降りた。
「冷房、消しますよ」
運転手は、返事を待たずに窓を降ろし、エンジンを切った。
乾き過ぎた空気の中で、流れ込んで来た湿り気が心地よい。
「お客さんも、ひとつどうです」
運転手は肩越しに、ブルーと銀の四角いパッケージを突き出した。
悟空がよく眠気覚ましに舐めているのと同じものだ。
メントールが、焼くように三蔵の喉を下りていった。
通り過ぎる車も、まばらになる中、
ネオンが、ジジ、ジジ、と唸りを上げる音も聞える。
悟浄たちの声は、聞えてこない。
「遅くなるかも知れねえ…他の車、呼べる番号教えてくれりゃ、帰っても」
「いえ…夜明けまでのシフトですから」
運転手は、穏やかな笑顔で振り返った。
街灯とネオンの淡い光の中で、酷くその顔は青白い。
「不眠症なんですよ。夜、家に居ても続けて2、3時間しか眠れないから、
サラリーマン辞めて、この仕事始めたんですけど、専ら夜勤専門です」
ポンと、もう一つ、強烈な飴を口に放り込んで、彼はシャツの襟を緩めた。
やはり痩せて青白い喉は、人工の光しか受けていない色だ。
自分も大差ないだろう、と三蔵は自分の手に眼を落とす。
手の甲に、まだ、微かに、痣のように悟浄の指の痕が赤い。
「昼夜逆転してて平気なのか」
「そっちのが調子いいんです。人間としちゃ、変種なんでしょうけど、
幸い、こういう仕事ありましたしね。
朝寝て、昼近くまでとろとろ起きたり寝たりして、夜はいくら起きててもそれで稼げる」
ほろ苦い笑いは、サイドミラーに向けられていた。
「なかなか、他人(ひと)とは暮らせませんけどね…
勤めてた会社辞めたとき、女房にも出ていかれましたよ。
昼間勤めてられないろくでなし、ってね。
いや、つまらないこと言いました、すみません」
「いや…」
建物の裏手で、がたん、と大きな音が響いた。
「どうして、信じられねえんだよ、それって俺のことも信じてないってことじゃねえのかよ!」
「じゃあ、お前は信じられんのか?
俺たちの家族だの家庭なんてある日あっという間に無くなっちまったろうが」
「で、もっ」
「自分が信じてないことを人に信じさせるなんて出来ねえんだよ。
…お前は、信じさせてくれる女(ひと)に会えるかも知れんが。
蓮実ちゃんはいい娘(こ)だ、幸せになれる男はいくらでも見つかる、
俺みたいに、家庭なんて持ったらいつ壊れるか怯えちまうような、
惨めな野郎にくっつくのは勿体ねえ」
慈燕の声は、むしろ穏やかだった。
「勝手じゃねえか…そこに、蓮実の気持ちはこれっぱかしも入ってねえ」
「半端に気持ちに応えたって何にもならん」
「…正論は、つらいですね」
運転手が、ぽつりと呟いた。
「相手に逃げ場が無くなるから」
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