033:白鷺 前編


「大事にするって…難しいね」

比沙子は紙に目を落としたまま、呟く。

「俺の前でまで、我慢すんなよ」

薄い胴に廻した悟浄の腕に、熱いものが、ぽつりぽつりと落ちて来る。


(泣く声、立てないんだよな…)


頸がすんなりと長く、華奢な身体に不釣合いに豊かな胸と、潤んだ眸。

差し伸べる手に崩折れるような姿とは裏腹に、

泣くときも歯をくいしばって、声を堪える女だった。


モヘアの白いセーターを着て、うなだれた背中は柔らかな羽根の鳥のようだ。

比沙子は白い服が好きだ。

前に、頼まれて兄の店で店番をしていたとき、暇つぶしにそこらにあった本をめくったら、

『内なる激しさを覆い隠す、"白いドレス"は"宿命の女"のユニフォームである』

という一行が目に入った。

比沙子の後姿が浮かんだ。



比沙子が好きになるのはいつも、センチメンタルで、ナルシストで、

自分のイメージのためにだけ痩せ我慢をして大人のふりをしても、

他人に優しく出来ない、子供じみた男ばかりだった。

守ってやりたいような女だと思って付き合い始めた比沙子が、

自分よりよほどしっかりして、頭も切れると気付いてしまうと、

自惚れを挫かれ、苛ついた挙句に、当り散らしたり、殴ったりしだす。

しばらくは黙って我慢した後、別れを告げるのはいつも比沙子だったらしい。


裏切ったのは、捨てたのはあいつだ、とどの男も、自分では被害者になりきっていた。


「あたしは、男を駄目にする女なんだ…だから悟浄みたいにいい奴は自分の男にはしちゃ駄目なんだ」

「はじめっから駄目じゃない男、たまには選べよ」

いつか、そんなやりとりを一度だけしたときも、

比沙子は、沈黙って微笑っただけだった。

泣くよりも痛々しい表情で。


頭では判り過ぎるほど判っているのに、

結局は自分しか愛せない男に惹かれてしまって、傷つき続ける。

戦士の休息のように、悟浄のところに現れ、痛みが薄れると、

また、新しい恋に向かって行く。


…恋をして すべて捧げ 願うことは これが最期のHeartbreak

この前に逢ったのは、そんな歌が流行った頃だった。

「お前のことみたいだよな」

「…他のやり方が、わからないの」



腕を濡らした涙が、冷たくなってくる。

親指で、やはり冷えた頬や、唇を拭ってやると、

吸い付くような感触に、

愛情と名づければ、名づけられなくもないけれど、

もっと色の無い衝動がこみ上げてくる。

今までは比沙子との間は、それでよかった。

いっときそれに身を任せても、何も変わらずに居られた。


(でも、今、俺、そうしちまったら、三蔵に…

あれ?でも、何でかな、あいつ、堅そうだから、

なんとなくスキンシップで寂しいから、スル、みたいのはきっと厭な感じする…だろうけど、

でも自分はそんなことしないからって俺がスルの非難するとかそういうタイプじゃねえし、

わざわざ言うことじゃねえのに?

…大事にするって、厭がりそうなことしないってコトか?)


考え込んだ悟浄の腕は、いつのまにか、するりと床に落ちて、

比沙子は上の空の男の胸に、やはり沈黙って身を預けていた。


「悟浄、アレ…」

どれほどの時間が経っただろう。

比沙子が指差した隅では、充電器の上で携帯が躍っていた。

「悪ィ」

ディスプレイを見る前に出た。

「あー!取り込み中だったー?ゴメン」

「声でけぇっつーの!」

「受話音量下げればいーじゃん。あ、三蔵さんはいっつもぼそぼそ喋るもんねー。

三蔵さん聞こえてるーー?居るんでしょーーー!?」

「蓮実、まだ酔ってんのかよ、三蔵今日仕事だっつうの」

「あ、そっか。だから電話出ないんだ。悟浄と一緒だからかと思った。

もう完璧素面だよう。昨日は天ちゃんに潰されたけどさ。

三蔵さんか悟浄が送って寝かしてくれたんだよね?ありがとv」

「いいけど、あんま外で潰れんなよ、もう大人なんだからよ」

「反省してまーす。あ、悟浄、天ちゃんのメアドか電話知らない?」

「三蔵に聞けよ。俺だって昨日初めて会ったんだから」

「そっか、メルしとこっと、じゃ明日」

「おう」

電話を切って、振り返る。

「あー、腹減ってっから余計あいつの声ガンガン頭響くわ…何か、食いにいかねえ?」


危うい衝動は、通り過ぎた。

乾いた比沙子の顔も柔かく微笑っていた。
33 白鷺 後編 
毎度ながくなっちゃってすみません。


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