029 Δ(デルタ)後編


蓮実は、テーブルをそっと離れた。

廊下に出ても、薄い壁がたわみそうな騒がしさが追ってくる。

景気のいい油の音が弾ける厨房との中間地点で、
携帯を取り出す。

彼はいつも出るのが遅い。

一緒にいるときかかってきたこともあるが、
なんとなく厭そうに、その癖ディスプレイも見ずに開いて、
仏頂面の耳にあてるのだ。


だから、呼び出し音が鳴るか鳴らないかで、
「もしもし!」とせっぱつまったような声が聞こえたのには、驚いた。

思わず耳から離してディスプレイを確かめる。

「あ、蓮実です。三蔵さん…ですよね?」

「またフォトショがどうかしたのか?」

相手が言葉を切ったかどうか不確かだ、というように
返事に間が空くいつもの調子と、違い過ぎる。

「いえ、あの今、職場の連中と悟浄の誕生日飲み会やってるんだけど、
三蔵さん、都合悪くなかったら来てくれないかなって」

「…でも、内輪の面子なんだろ?」

今日の三蔵は、次々予想を裏切る。
蓮実は面白そうに眉を上げた。

明日早いから、とか、内輪のところに混ざるのもなんだから、と
あっさり断るだろうから、駄目もとだと思っていたのに。

「でも同じ年頃のばっかだし…三蔵さん?」

受話器を手で抑えて、
何か言い合っているらしい声が漏れてきている。

(ああもう、周り、うるさい!聞こえないじゃん)

「…いわくだって」

「…きゃわかんないでしょう、かし…」

いきなり、ガタン、バリバリと雑音が蓮実の耳に刺さる。

「あ、すいません、お電話代りました、
あのう、飲み会のお誘いですって?」

どこか不安なほどテンションの高い、声。

「は、はあ…すいません、どちらさまで」

「あ、失礼しました…ちょっと、うるさいですよ三蔵さん…
僕、三蔵さんの身内、っていっても義理なんですけど、
そういう者で、天蓬っていいます。
三蔵さんのとこ遊びに来てたんですけど、
僕も一緒に伺ってもいいですか?」

「あ、どうぞどうぞ。飛び入り歓迎ですから」

「三蔵さん、いいそうですよ。じゃ、お店の場所と番号下さい」

明らかに後ろで三蔵が抗議している様子は、
聞こえないことにして、蓮実は道順と電話を教え、
電話を切った。

三蔵の家からは歩きで15分程で着くはずだ。


席に戻ると、蓮実はてきぱきと出来上がった後輩2、3人を部屋の隅に追いやり、
悟浄の近くに席を作った。

「何、仕切ってんの、蓮実ちゃん」

既に泥酔しかかった幹事も、ついでに押しのけ、ビールも追加する。

じきに、ドアを恐る恐るあけた従業員が、
「沙様のお席に、という方がお二人…」と言ってきた。

「あ、こっちでーすv」

「はーい!皆さんお邪魔しまっす!」

どろんと酔った眼がいっせいに見開かれた。

惰そうに壁にもたれていた悟浄が、いきなり立った拍子にそこらのグラスを倒す。

「蓮実、てめっ…」

「『事前』には言わなかったよ。当日誘っちゃいけないなんて言ってなかったじゃん。
三蔵さん、こっちこっち、えっと…、」

「あ、僕天蓬です、天ちゃんて呼んで下さいv
後ろにいるのは悟浄さんの友達の三蔵でーす」

天蓬はにこにこしながら悟浄の隣にすとんと腰を下ろした。

「初めまして悟浄さん、お誕生日、おめでとうございます。ま、主役は座って座って」

「あ…はい」

あっけらかんと笑っている天蓬に呑まれたように、悟浄も腰を落とす。

(いやだ、すっごいいい男…)
(この眼鏡の兄ちゃん、ジャージでここまで来たんかい…)

囁きが飛び交う中、三蔵は仏頂面で、蓮実の隣に座った。




030 通勤電車 


ちょっぴり三角関係=Δっぽく書きたかった。


029-1 Δ(デルタ)前編

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