019 ナンバリング(後)


「0480603…次は?」

「それで最後。お疲れさん」

受け取った瓶を箱に詰め込んで、がしゃんと積んだ悟浄と、
マーカーの蓋をした三蔵が、同時にぽきぽきと首を鳴らした。

「なんでお前が凝るんだ?」

「付き合い?」

「何だそりゃ」

勝手知った風に冷蔵庫を開けたてして、
悟浄は、白く曇ったグラスを置いた。

「店のおごり」

グラスいっぱいのぶっかき氷から、冷え冷えと霧が上がっている。
含んだ途端、爽やかな香りに包まれた。

「うまい」

「だろ?兄貴、結構こだわってて、上等のライム切らさねえし。
ジンは控えめー、にしといたから、お替りしてくれよ」



三人が入ってきたとき、慈燕ー悟浄の兄、は、
スコッチの箱を開けて、瓶の底に、マーカーで続き番号を書き込んでいた。
紹介された三蔵に名乗り、
ちょっとこれだけ済ませますから、と、動かす手元を、
カウンターを飛び越えて入った悟浄が覗いた。

「兄貴、、賞味期限偽造してんの?」

「いや…」

最近、常連客で、キープするボトルの札をかけかえる悪戯が起こり、
知った同士だけならとにかく、酔った勢いで知らない相手のも手を出すことがあるという。

「瓶に番号書いておいて、入れたとき名前と一致させときゃ、元に戻せるからな」

棚に並んだ札付きの瓶は、ざっと見ても3ダースはある。
これを全部覚えて居るとはたいしたものだ、と三蔵は思いかけた。

「…って風に脅しとけば、残りの多い瓶にちゃっかり掛けかえる野郎が牽制できるってわけか。
覚えてやしねえだろ?」

「客の前で言うんじゃねえぞ」

ほころんだ表情の、人懐こそうな温度は、
驚くほど悟浄と似通っていた。

「蓮実ちゃん、明日電話しようと思ってたんだが、例のパーツ、入ったぜ」

「ラッキーv輸入したの一番じゃない?まだ日本じゃ持ってる人いないですよね、カラー、三色だっけ」

「ああ、これ済んだら倉庫で見せる。あっちでも市場出た途端飛ぶようにはけちまって、やっと一箱取れた」

「俺、やりますよ」

「え?」

兄より、むしろ悟浄が驚いたように、三蔵を見た。

「ここで三人で見てるよか、俺と悟浄でそれやって、
蓮実さんとあなたがあっちの用事した方が、手っ取り早いじゃないですか」

「ありがたいけど、初めてのお客さんにいきなり用事押し付けっちゃあ…」

「いーよ、兄貴、ダチだからさ。行ってきなよ」



悟浄はひとくちで干した自分のグラスに、ジンだけを注いだ。

「なあ、蓮実と何、ひそひそやってたのよ」

「言えねえ」

「隠されっと余計気になんなー」

「…俺のことじゃねえから」

「あ、そ。ならいいや…」

角が丸くなってきた氷がグラスに触れる音だけが、涼しく響く。

目が慣れてくると、一枚板のカウンターも、スツールも、
見た目は無骨なものばかりだった。

だが、座ったり、こうして手を置いてみると、
使い込まれた堅木の表面はしっくりと馴染んでくる。

「いい店だな」

「サンクス。…兄貴もさ、蓮実と落ち着けっといいんだけど」

「…知ってたのか」

「まあね。でも知らん振りしてんだ。俺が下手にまとめようとちょっかいだしたら、
兄貴は思いっきり硬化するだろうし、蓮実もギクシャクして、台無しンなる、
…そう思わねえ?」

「…すまん、そういうことは、よくわからん」

「ごめん、三蔵は、よく知らない人間のことそんな簡単に言わないよな。

…うちの親、俺が5つンとき、保険掛けて、自分から殺されに行ったみたいに死んじまったから。
…兄貴が家庭とか、家族とか信じられなくなったのも仕方ないけど。

でも、絶対幸せにならねぇっていうのは、絶対幸せになるのと同じ位の確率って気、するんだ。

俺を専門に入れてくれた頃、このバイクショップのオーナーが引退すんのに、
バイクがめちゃくちゃ好きな兄貴なら大事にしてくれるからって店、譲ってくれたんだ。

それまで兄貴は世の中に貸しばっか作ってたんだから、やっとリターンが来るようになったって俺、思った。

兄貴は幸せになる資格あるし、蓮実とならきっとうまくいくって…すげえ、うまくいって欲しいから、」


「見守ってるってのも、しんどそうだな」

三蔵は、自分の言葉の拙さが、はがゆかった。聞き役にしても役不足だ。

一番大切な人間の幸福のために、
「何もしないこと」しか出来ない悟浄のせつなさを、どう慰撫すればいいのか、わからない。

けれど、新しいグラスを置いた悟浄の目は、
叱られた後に、許された子供のように、腫れぼったくて、嬉しそうだった。

「三蔵は、兄弟っていんの」

「居ねえ。…多分」

「多分?」

「お待たせしてすんません…あ、お出ししといてくれたな」

慈燕と、蓮実が入って来た。

「頂いてます」

慈燕はすぐカウンターに入り、冷蔵庫からアヴォガドを出して剥き始めた。

「いきなり、手伝わせたりしてすいませんでした、これ、よかったら上がってみて下さい」

鮮やかな緑色のディップは、ライムと唐辛子で味が引き締められ、ひなびたトルティーヤチップスとよく合った。

「物足りなかったら、チーズ足して…」

「いや、さっぱりしてて、これがいいです」

「蓮実、何飲む」

「コロナエクストラ」

ライムを押し込んだ金色のビールを、蓮実は瓶からごくごく飲んだ。

「ヘルス・エンジェルスじゃねえんだから…」

「喉渇いてたの。やーねえ、チャーリーズ・エンジェル位言ってよ」

口を拭って、にこりと笑う蓮実の手が、微かに震えていた。

胸元のハーモニカを探り当て、握り締めて、
不用意な言葉をこぼすまいとするように、唇もきゅっとつぐむ。

悟浄は隅に引っ込んで、口元を覆って携帯で話し出した。

天井から、沈黙がなだれ落ちて、あたりを浸してしまう数秒前に、
がやがやと、客が入ってきて、3人とも、密かに吐息をもらした。

「あー、今日チーフ、グァカモーレ作ってんの、ラッキー!」

「さて、まだ熟したアヴォガド、あったか…なかったら一週間待ってな」

「ひっでー。あ、蓮実ちゃん、ちっす。弟クンも」

窓の外を、さっとライトが走った。

「あ、車来たわ。じゃ、またな」

「おう」

「何、弟クン帰っちまうの?こないだのダイスのリターンマッチしようと思ったのによ」

「あんまお客カモると出入り禁止になっから。じゃ、蓮実、三蔵、行くぜ」

財布を出しかけた三蔵を押し留め、慈燕は外まで送ってきた。

「また、お待ちしてます。悟浄と仲良くしてやって下さい」

きっちり90度に礼をする慈燕に、三蔵も黙って頭を下げた。



「今度は俺が三蔵とツーショット!」

「あー、もう好きにすれば」

「何やさぐれてんのよ、あん位で酔った?」

「何にも食べてないもん。帰り、あのコンビニの前で降ろして」

「俺もあそこがいい」

それきり、蓮実は目をつぶって黙り込んでいた。



「家の前までは送る」

「悪いよ…反対側でしょ」

「物騒だから」

同じコンビニの袋をぶら下げて、蓮実と三蔵はゆっくり歩いた。

街灯の下、みっちりと茂った青葉から吐き出される温気が濃い。

「今日、言っちゃったんだ。あの人に。好きだって」

「…そうか」

「三蔵さんのおかげでチャンスできた。ありがとう。

…好きでいるだけでもう、いられなくなってきちゃってたから。

まだ、お店からの電話の履歴消したくなくて、他からの着信せっせと消したり、
レシートもなんとなくひと月は捨てられなかったり、
声聞けた日は、他に何があってもスキップで歩けるみたいだったり…
そんなふわふわしたのも楽しいけど。

幸せにしてほしいんでもない、幸せにしてあげるっていうんでもない。
だれでもないあの人と、一緒に幸せになりたい、
二人で居るのが一番いいけど、別々に居るときも、お互いのところに帰っていくんなら、
すごく幸せになれるって気持ち、伝えて、同じ気持ちを持って、って。

あの人、困ってた。だからあたし、返事は急がない、待ってるっていったの。

そのままうやむやにされちゃうかもしれないけど、言わなかったら絶対何も変らないし。

…ありがと。ここだから」

こじんまりしたマンションの前で、蓮実はぴょこんと頭を下げた。

「おやすみ」

「三蔵さんも気をつけて」


歩きながら、三蔵はまだ冷たいヨーグルトのパックを取り出し、ストローを刺した。

さっきのコンビニまで戻ると、煌々と道を照らす灯りに、長い影を落としている姿が立っていた。

「…よう」






020 合わせ鏡








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