011:柔らかい殻


三蔵は、肘を突いて、上半身を起こした。

月の光に、片側が浮き上がる悟浄の喉が、ごくりと動くのが目に入る。

ああ。

わかってるんだ。

自分が、俺に踏み込もうとしているのを。


だけど、今、フライングしちまった、と思ってる。


今まで、好きなように動く悟浄の手の中で、

数歩先も、見えないまま泳がされていたような気がしていたのに。

不意に、こうして悟浄の感情の動きが掴めて来たのが、

三蔵には不思議だった。


…おもしろい。

もっと、見てみたい。知りたい。


そうか。

こいつは、俺を知りたかったんだ。

同じベクトルが、今、俺にもあるから、

こいつが、見えてきたんだ。


単純なことなんだな。


こつりと、胸の底に何かが落ちた。


体温より少し熱い湯が、噴きこぼれるような、

こんな気持ちのやり場がなくて、

…笑えてきた。

「…っは、くっ、は…っ!」

「…ちょっ、三蔵?!」

顎を引き付けて、揺らしている三蔵の肩を、

焦った悟浄が掴む。

覗き込む眼は、火花が出そうに真剣だった。

考える前に、腕が出ていた。

「!」

ベッドに乗り上げていた悟浄は、

幸い、ベッドの上に仰向けに倒れる。

「ひっでぇ…」

「悪ィ」

悪いとは思った。

だが笑いの余波は、収まらずに震えている。


「けどよ、今のてめぇの面、俺が撮ってやりてぇ…ククッ」

「…どんなんよ」

さすがに憮然として、悟浄はベッドから滑り降り、

足を投げ出して、煙草を取った。

「めっちゃくちゃ情けねえけど、イイ顔だぜ」

「はー?」

悟浄は煙に紛らして、肩越しに振り向いた。

もう、眼は柔らかく凪いでいる。


「で、どうすんの、三ちゃん」

「とりあえず、これ、呑んじまうまでは、居る」

三蔵もベッドを降り、半分ほど残った酒瓶を掴んだ。

波は、漸く遠ざかって、

何だか、体が柔らかくなっているような気がする。


「夜、明けちまうかもな」

嬉しそうに、悟浄がコップを差し出す。

「あ、でも具合悪かったら無理すんなよ」

「もう平気だ。それに半端に寝るよか、貫徹する方がいい。

明日、仕事だからいっぺん帰って着替えねえと」

「こっから行けばいーじゃん。あ、同僚煩ぇ?

三蔵さん昨日と同じネクタイ〜!とか」

「同じようなんしかしてねえから、他の奴なんか…」


女子なんか、かなり気にしてると思うけどな。鈍感。

思ったけれど、悟浄は口にはしなかった。


今、三蔵の殻が透き通って、

素直に話している。

この空気を壊したくなかった。


「自分が気になる。一日の仕事の前に、

汗流して、シャツ替えないと」

「気合はいらねぇ?」

「そんなとこだな。仕事って、責任あるもんだろ」

三蔵は照れたように、言葉を切った。

「俺さ、ワイシャツ着て仕事したことないんだよな」

とぽりと、三蔵のコップに酒が流れ入る。

「なんか、いいな、そういうのって。オンオフはっきりする感じじゃん」

「そうか?」


三蔵も瓶を掴み、悟浄のコップに注いだ。


残りを惜しみながら傾けているのを、

二人とも感じながら、

気付かないふりをした。


「今度撮影行くとき、あの紅いシャツ、着てきてな」

「そうだな」


夜が、白々と明けていく。




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